広島原爆に向き合った表現に震える。丸木美術館が冨安由真《影にのぞむ》を展示
丸木美術館で、冨安由真の《影にのぞむ》が展示されている。祖父母が広島原爆の爆心地から1.5キロメートルのところで被爆している被爆3世でもある冨安由真が、広島原爆に向き合った本作の展示の様子を、、同館が所蔵する「
原爆の図」とあわせてお届けする。
冨安由真は、1983年東京生まれ。見えない存在が「ここにある」ような知覚を、鑑賞者に与えるペインティングやインスタレーションで表現するアーティストだ。
同館の入り口から1階奥に進むと、白い空間のなかに暗幕が見つかる。その先に広がっているのが、冨安由真の《影にのぞむ》だ。入口手前には、被爆者15名に行ったインタビューをまとめた資料が置かれているので、一部を手に取って進んでほしい。
宙から吊られた白い手を数えると、30ある。これは、今回インタビューを実施した15名の両手を型取ったものだ。手をモチーフとしたのはなぜなのだろう。冨安は「祖母は生前、一度だけ私にその体験を話してくれたことがあります」と言い、悲惨で凄惨な出来事の後に無数の手に追われるようなイメージに取り憑かれたと聞いて、このかたちにたどり着いたようだ。
柔らかな暖色の光に包まれていた室内は、徐々に暗くなったのち、一瞬にして真っ白な強い光に包まれる。そして左の壁面に、手の影が黒くはっきりと映し出された。人間が一瞬で焼けて壁の染みになったという、原爆投下の恐怖をシンプルな装置からはっきりと感じさせてくれる。
再び室内の明るさが落とされていくなか、どこからともなく微かに、機械的な音が聞こえてくる。目を凝らすと、天井から吊るされている手のいくつかが回転していた。見上げると、穏やかな光のなかに、小さなスポットライトのような丸くて白い光がちらちらしている。聞けば、手の切断面を鏡面にすることで、人魂を表現したのだという。
展示空間の明るさは弱まり、真っ暗になる。そこから動けないでいるうちに、鑑賞者はまた暖かい光のなかで手を見るだろう。
冨安は今回の展示について、「いつか広島原爆に向き合った作品をつくりたいとずっと胸に秘めていましたが、今回光栄なことにその機会を得ることが出来ました。原爆は今後も向き合っていきたいテーマではありますが、いま最良だと思えるかたちで発表したいと考えています」と綴っている。その言葉に違うことのない、ほかのあり方など浮かばない、冨安にしかできない突き詰めた表現がここにある。
終戦から78年となる今年も、世界から「戦争」はなくなっていない。芸術は、表現は、何ができるのか。作品タイトルの《影にのぞむ》の「のぞむ」は、英字表記の“In
Presence of
Shadows”からもわかるように、これまでの冨安の作品からも読み取ることができる「見えない存在」と、切っても切り離せない。冨安がアーティストとして積み上げてきた、「在った」ことをないものにせず、向き合って、伝える術。そのすべてが込められた作品を前に、その強さと美しさに震えるほかない。
なお、同館の2階では、長崎原爆資料館が所蔵する《原爆の図 第15部 ながさき》以外の「原爆の図」を展示。修復作業から戻ったばかりの《原爆の図 第1部
幽霊》も展示室を入ってすぐのところに展示されている。黒、あるいは赤の散る屏風は、一度細部を見つめればとらわれるように絵の前から動けなくなるかもしれない。冨安の作品と合わせて鑑賞すれば、いっそう強まる思いがあるはずだ。