多くの名作童話を世に 児童雑誌「赤い鳥」、創刊105年迎える
「赤い鳥」は1918年7月創刊。明治期以降の教訓的なおとぎ話とは異なり、芸術的価値の高い作品を子どもに紹介しようと、三重吉は当時の一流の作家に声をかけてオリジナルの童話を寄せてもらった。創刊号には、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を掲載。新美南吉の「ごんぎつね」など「赤い鳥」が発掘して世に送り出した名作も数多くある。
三重吉は児童文学の研究に専念する前は、小説家だった。東京帝大で夏目漱石の講義を受け、漱石の推薦で文壇デビューを果たした。
「鈴木三重吉赤い鳥の会」主催で6月に広島市内であった講演会には、比治山大の二宮智之准教授が登壇し、三重吉が漱石の作品に強い影響を与えたという考察を発表。二人の文通では、漱石が三重吉の作品を「傑作」と呼び、「講義を書くより(三重吉の)『千鳥』をよむ方が面白い」と絶賛。漱石の「文鳥」には「三重吉」や「三重吉の小説」という言葉が随所に登場することから、「漱石は弟子の三重吉の文学的な世界に影響を受けた」と指摘した。
潤吉さんは「赤い鳥」が宮沢賢治からやなせたかしまで、多くの作家に影響を与えたと考える。当時の子どもたちにとっては「文学の世界に目を開かせてくれる存在」だったとしたうえで、「明るく希望を持たせる話だけではなく、人間の醜さや矛盾を描いた話も多く掲載しており、それらを通して子どもたちは人間のありように触れたのではないか。震災や食品ロスなど、現代にも通じるテーマも取り上げられているので、今の子どもにも読んでほしい」と話していた。