「クレイジー」と呼ばれながらも誰も撮ったことのないエベレストに魅了された写真家・上田優紀〈dot.〉
「エベレストに登って、無事に帰ってくるだけでも大変なのに、そこで写真を撮ってくるなんて、すごいですね」
インタビュー中、筆者がこう口にしたときだった。写真家・上田優紀さんの声のトーンが高まった。
「写真を撮るって、そういうものですから。大変だからやらないとか、つらいからやめるとか、そういう話じゃない。写真で飯を食べている人ならたぶん、みんなこの気持ちは分かると思います。そんなに気にしてないですよ、つらいというのは」
■撮影した記憶がない
エベレストへ出発する前、上田さんはどんな状況でもシャッターを切る自信をつけるため、厳冬期の富士山に通った。
富士山に登るのはいつも夜だった。真夜中に静岡県の御殿場口登山道を歩き始め、朝8時ごろ山頂に到着する。その行程はエベレストに登頂する日のスケジュールを想定したものだった。上田さんは固く凍った雪の上でトレーニングを開始した。
<富士山の山頂で息を止めて激しく腿上げ運動をしてみると、鈍器で殴られたように頭が痛くなり、吐きそうになってくる(実際に吐いてしまうことも多かった)。フラフラになりながらもその状態で三脚を組み立て、カメラをセットし、マニュアルでピントを合わせて、息を止めながらシャッターを切るという作業を何度も繰り返し練習した>(『エベレストの空』光文社新書)
トレーニング直後に血中酸素飽和度を測定すると、65パーセントの値を示した。厚生労働省の新型コロナ対応マニュアルによると、この値が93パーセント以下になれば酸素投与が必要な状態とされる。
しかし、ヒマラヤでの撮影はさらに過酷だった。上田さんはこんなエピソードを話してくれた。
「酸素を吸っていても意識が薄くなっていく。下山してから撮影した画像を見て、『ああ、ここで撮ったんだ』と、気がつくことがよくあります」
標高8000メートルの世界は「1秒立ち止まると、1秒死が近づいてくる」デスゾーン。実際、山頂付近では眠るように力尽きた登山者のすぐわきを登っていく。
体力をできる限り温存するため、登山者は装備品を1グラムでも軽くしたいと考えるのがふつうだ。
ところが、「エベレストに登るのは100%写真を撮るためです」と言い切る上田さんは、登山装備以外にもカメラボディー2台、交換レンズ3本、三脚(標高6400メートルのキャンプ2まで)、予備バッテリーを背負って山頂を目指した。