明智光秀の死後に炎上した坂本城、屋根はツートンカラーか…フロイス「信長の安土城に次ぐ名城」
光秀は、1571年に延暦寺を焼き打ちした織田信長に命じられ、比叡山東麓の湖岸に築城を開始。「日本史」の著書がある宣教師ルイス・フロイスが「信長の安土城に次ぐ名城」と評した。82年の本能寺の変の後に光秀は討たれ、城は炎上。絵図などは見つかっておらず、その姿は不明とされている。
城跡の本丸推定地では、市教委が1979~82年度に発掘調査を行い、建物跡のほか、軒丸瓦や軒平瓦、丸瓦などが多数出土。暗灰色以外に赤褐色もあったが、城が炎上した際に暗灰色の瓦が熱で変色したとみられてきた。
同センター職員、青山均さん(66)が出土した瓦の中に表面だけでなく内部も全て赤褐色で均一な瓦も存在することに着目。「炎上の熱で暗灰色が部分的に変色した瓦もあるが、最初から赤く焼成された瓦もあるのでは」と考えた。
目視による仮説を科学的に裏付けるため、昨年、研究機関に分析を依頼。含まれる鉱物が熱を浴びることによって起きる磁気の変化や、色が異なる瓦の成分に違いがあるかなどを調べた結果、当初から赤褐色に作られた瓦の存在が肯定されたと結論づけた。軒瓦でみると、3割が赤褐色だったと考えられ、成果は調査報告書(3月発行)としてまとめ、公表した。
青山さんは「製作段階で酸化や還元と焼成方法を変え、色違いの瓦を作ったのでは。坂本城の屋根に赤褐色の瓦が存在したことは明らかだ」と強調。城の絵図などはないが「瓦の比率は約3割が赤褐色。実際にどの部分にふかれていたかは不明だが、視覚的な効果を考えて天主の最上部にふいたのでは」と推量する。