ノーベル文学賞作家の大江健三郎さん死去 88歳
愛媛県喜多郡大瀬村(現、内子町)に7人兄弟の三男として生まれた。松山東高校を経て、昭和34年に東大文学部仏文学科を卒業。大学在学中の33年、短編小説「飼育」で芥川賞を受賞。39年、実生活をモチーフに障害児を持つ若い父親の心情を描いた「個人的な体験」で新潮社文学賞を受賞した。
その後も旺盛に小説を発表し、42年「万延元年のフットボール」で谷崎潤一郎賞を、48年「洪水はわが魂に及び」で野間文芸賞、58年には「新しい人よ眼ざめよ」で大佛次郎賞を受賞。59年には短編「河馬に嚙まれる」で川端康成文学賞を、平成2年に「人生の親戚」で伊藤整文学賞を受けるなど、国内の主だった文学賞を受賞してきた。
6年、ノーベル文学賞。受賞公演「あいまいな日本の私」が話題となった。その後、哲学を学ぶために米国へ留学するなど断筆していたが、8年の武満徹の告別式で「長編小説をささげようと思います」と小説復帰宣言をし、11年、4年ぶりの長篇小説「宙返り」を発表、作家生活に戻った。
作品の多くが翻訳されており、海外でも高く評価されて、ノーベル賞以外にも、イタリアの文学賞であるグランザネ・カブール(8年)なども受賞した。
ほかの作品に、最初の長編「芽むしり仔撃ち」、政治団体から脅迫を受けた「セヴンティーン」や、「ピンチランナー調書」「同時代ゲーム」「『雨の木(レイン・ツリー)』を聴く女たち」「新しい人よ眼ざめよ」「燃えあがる緑の木」など多数。評論も積極的に執筆し、「ヒロシマ・ノート」「沖縄ノート」、講演集「核時代の想像力」などがある。
その他、オペラの原作「ヒロシマのオルフェ」や戯曲「天(そら)の嘆き」なども手掛けた。
12年、米ハーバード大名誉博士号を授与され、14年には仏レジオン・ド・ヌール勲章コマンドゥールを受章した。