行政からみた中目黒が「粋な下町」である理由と新施設・フナイリバへの期待
敷地全体の面積が2700㎡という都心にしては破格の広さによって、今後中目黒のまちづくりの拠点となるスペースになるという。中目黒に編集部を構える『FINDERS』では、前回は、一般社団法人ナカメエリアマネジメント(NAM:ナム)」のプロデューサーとして、取り組みを主導した日本デザイン株式会社・大塚剛さんと、NAMのクリエイティブ・ディレクターとしてブランディングやクリエイティブ設計を一手に担うE inc.・石野亜童さんに「民間」側から見たフナイリバ誕生の経緯や目的について伺った。
今回は、もともとは目黒区が管理する施設であったフナイリバがどのような経緯でスタートしたのか。プロジェクトに大きく関わった目黒区職員の面々に話を伺うことに。登場いただいたのは、街づくり推進部 地区整備課から池田寿々子さん、齊藤礼香さん、畑島美南海さん、そして都市整備部 みどり土木政策課から西尾千暁さんの4人。
行政職員から見た中目黒という街、そしてフナイリバへの期待について伺った。
―― 「フナイリバ」について伺う前に、まずは目黒区役所で働く皆さんからみて、中目黒はどういった街なのかお聞かせいただけますでしょうか?
池田:中目黒って一般的には「おしゃれな街」だと思われていますよね。実際にそういった側面もあるとは思うのですが、実はかなり下町っぽさがあると感じています。例えば桜の時期にぼんぼりを吊るしたり、ライトアップをしたりしていますが、それらも昔から住む町会・商店街や地域の方々が採算度外視で街のためにやっていることだったりもします。若い人たちが楽しめるような素敵なお店もありつつ、地域の繋がりの強さもあるような場所ではないでしょうか。
齊藤:私も入庁前はお花見に来るようなおしゃれな街ってイメージだったんですが、やっぱまちづくりの協議会の方々に会ってみると江戸っ子って感じなんですよね。粋な方が多い。昔、神田明神で神輿を担いだことがあるんですが、そのときの下町っぽいノリを中目黒でも感じたんです。特に昔から住んでいらっしゃる方々は、まちづくりに対して並々ならぬ熱い思いを持っていますよね。
畑島:私も中目黒の担当になるまでは桜のイメージがあったぐらいです。でも地元の方々と関わりを持つ中で、実はお花見を含めて、特定の企業ではなく地元が中心になったまちづくりに力を入れていることがわかってきました。
―― お三方とも同意見ですね。たまに遊びに来るような人の中に、中目黒について「下町」のような印象を持っている人はほとんどいないと思います。
畑島:古くから商店街が動いてきた一方で、ここ10年から15年のあいだに、目黒川沿いの桜人気によって外から遊びにくる人がものすごく増えたんです。ただ変化があまりに急激すぎて、地元コミュニティの雰囲気とギャップが生じてしまっている印象もあります。
池田:今じゃ想像できませんが、2010年ごろまでは桜もゆったりのほほんと見られたんですよ。SNSが普及する時期と重なるように駅前高架下の再開発や、STARBUCKS RESERVE® ROASTERY TOKYOの開業、東京音楽大学 中目黒・代官山キャンパスの開校(19年4月)をはじめ民間の動きが活発になりました。副都心線の乗り入れもありましたね。だけど街を支えてる町会長さんや商店街の方々と、新しく街に入ってきた方々とが上手く繋がれていない印象は私たちも持っていました。
―― 新しいものが盛り上がるほど「地域」との乖離が生まれてしまうと。
池田:ただ、これについてはフナイリバを運営するNAMに期待している部分でもあります。代表理事の柏井栄一さんやプロデューサーである大塚剛さんなど、実行部隊として動いている方々は比較的若い世代も多いです。NAMには理事のメンバーとして、町会長や商店会長も参加されていて、上の世代と下の世代とをつなげるような組織になっていると感じています。
一方で、若い世代からすると「住民として行政がどんな取組を行っているか見えにくい」というお声もいただいています。確かに私たちは昔から住んでいらっしゃる方々と関わることが多かったのですが、下の世代の方々や民間事業者とはなかなか繋がれなかった。そういった面でもNAMは民間と行政を、そして世代をつなぐきっかけとなる組織になるのではないかと思いますし、私たちも行政もそこはしっかりと関わっていきたいと思っています。