藤森照信による、国内初の宿泊施設が建設中!
〈藤森旅館(仮称)〉のストーリーは、個人オーナーの山越典子さんが2004年、竣工当時の茶室《高過庵》(2003-2004年)をたまたまテレビで見て、衝撃を受けたところから始まる。
「あかん、好き過ぎる!」という驚きと共に建築家・藤森照信のファンとなった。2010年に〈茅野市美術館〉で『藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築』のために制作された茶室《空飛ぶ泥舟》のワークショップに参加した際に初めて、藤森に宿泊施設の設計を依頼したいという夢を伝えた山越さん。その後も2017年には《高過庵》に隣接する《低過庵》の制作ワークショップにも参加、また当時、世界唯一の藤森建築による宿泊施設だったオーストリアの〈ストークハウス〉(2010年)まで飛び、宿泊を体験した。
一方で用地探しは二転三転するも、移住先の長野県茅野市から隣の富士見町へ転居後に出合った4,000㎡の土地が、最終計画地となった。2021年3月12日、現地を視察した藤森も土地の条件と周囲の環境を気に入り、「初めての旅館を素晴らしい場所に設計します」と約束。同年12月16日には冒頭の設計案が提示された。
坂道を登ると建物が見えてきて、その向こうには甲斐駒ケ岳、背後には八ヶ岳を望み、地上5メートルのテラスからは富士山が眺められるプランで、定員5名の宿泊部分約㎡とスタッフルームを備えている。また敷地はもともと棚田だったため、一部に水田を復活させる予定もあり、周辺の環境まで取り込む計画だ。
2022年には〈諏訪n設計企画〉主宰の吉川一久による実施設計や〈スワテック建設〉との施工契約が進み、9月11日には関係者一同が揃い地鎮祭が執り行われた。12年にわたるラブコールを受けた藤森に、この作品にかける抱負を聞いた。
「(オーナーの)山越さんはワークショップにも欠かさず参加して、とにかく熱心だよね。こんな方はなかなかいません。〈藤森旅館(仮)〉は周囲の景観をなるべく壊さず、地域の邪魔にならず、でも象徴的な建築にしたいと思います」(藤森)