100周年を迎えた「アクリス」に見る、ブランドと不易流行
驚いたのは私だけではないだろう。ファレルといえば、「Happy」(2013年)が大ヒットしたミュージシャンだ。バッファローハットと呼ばれるつばつきの帽子を流行させたことでも知られ、たしかにファッショナブルな印象ではあるものの「ルイ・ヴィトン」は世界最大級のファッションブランドである。
もちろん彼に期待されているのは1400万超のフォロワーをもつインフルエンサーとしての波及力であり、ファッションやアートや音楽を包括したひとつのカルチャーと捉える総合プロデューサーのような動きであろうが、この巨大企業のクリリティブ面をどう率いていくのか。6月のファーストコレクション発表に注目が集まっている。
この事件(私にとってはまさしく事件だった)をきっかけに、「ファッションブランドにおけるクリエイティブ・ディレクターに求められる役割とはなにか」とつらつら考え始めた。
ルイ・ヴィトンのようにドラスティックに舵を切るブランドもあれば、従来のモノづくりに情熱を注ぎ続けるクリエイティブ・ディレクター(以前はデザイナーと呼ばれていた)も変わらず存在している。
これは変わる・変わらないのどちらが良いという話ではないのだけれど、“変わらない”の代表として、2022年に100周年を迎えたスイスのファッションブランド「アクリス」を例に、ファッションにおける不変とはなにか、考えてみたい。
アクリスはブランド誕生100周年を記念して、アイコンであるザンクト・ガレン エンブロイダリーを使った作品の特別展示「Akris Embroidery」を5月7日まで「アクリス サロン」(帝国ホテルプラザ1階)にて開催中。
アクリスは1922年、テキスタイル産業で栄えたスイス・ザンクト・ガレンに、縫製工房として創業された。創業者は女性であり、働く女性たちのためにエプロンをつくっていたところ、創業者の孫である現在のクリエイティブ ディレクター、アルベルト・クリームラーが1980年に入社したことをきっかけに高級クチュールメゾンに成長。
圧倒的に上質な素材を使い、これ見よがしではなく美しく身体を包むディスクリート(控えめな)・ラグジュアリーファッションとして、世界の第一線で活躍する女性たちから支持されている。
その顧客リストにはモナコ公国のシャルレーヌ公妃やUNHCR特使を務めたアンジェリーナ・ジョリー、また多くの女性CEOや政治家、社会活動家などが名を連ねるといえば、その世界観を想像いただけるだろうか。たとえば春夏コレクションの軽いセットアップであっても1着数十万円する高級ブランドである。
--{ クリエイティブ・ディレクターとしての40年を振り返る}--
アクリスは一貫して、「Woman with Purpose」をテーマに掲げている。意志のある女性、とでも言うべきか。その場所が職場であれ、社交の場であれ、果たすべき役割を自覚し、そのために装う女性たちだ。とはいえ、スーツやドレスなどONのスタイルばかりではなく、彼女たちがくつろいだ時間を過ごすための上質なOFFのスタイルも多く用意されている。
アルベルト・クリームラーはアクリスの100年と、自身がクリエイティブ・ディレクターに就任しての40年をこのように振り返る。
「100年前、祖母のアリスは、第一次世界大戦が終わった直後の非常に困難な時代において、地元の名産であるザンクト・ガレン エンブロイダリーを使ったエプロンを、地元の女性たちのために作ることから始めました。今でいうスタートアップカンパニー、これがアクリスの始まりです。
アリスは同時に女性たちに自らの工房で職も提供していました。彼女はビジネスを拡大していく中で、女性の存在を定義し、カリスマ性を高めるために取り組んでいました。
それは、3代目である今日の私の使命でもあります。違いを作り、変化を生み出すことに邁進し、自身の信念と確固たる主張を持つ。そんな目的を持つ女性のために服をデザインしています。
このような女性は私がクリエイティブ ディレクターに就任した40年前から数多く存在し、今日も変わらず存在しています。いや、私の祖母の時代、つまり100年前から存在していたにちがいありません。それは年齢、時代によって変化するものではありません」
たしかに、意志(目的)のある女性は40年前、100年前にも変わらず存在しただろう。しかし、その女性をとりまくライフスタイルは大きく変わってきた。女性が男性に肩を並べようと社会参画に挑む時代から、男女平等であることを前提に、より多様な価値観をもって日々を楽しむ女性像への変遷だ。
たとえば私、いまこの原稿をワーケーション先の軽井沢で書いているが、午後には東京へ戻り、銀座で打ち合わせをしたのちに、夕食は恵比寿で友人たちと四川料理を楽しむ予定だ。1日のうちでいくつも異なるシチュエーションをこなすための服装とはどんなものがふさわしいのか? それは100年前、40年前には考えなくてよかったことだろう。
ちなみにアクリスでは裾や袖を取り外したり丈を変えたりすることで1着をさまざまに着まわせるジャケットやコートドレスも以前から発表しており、オフィスでの勤務後にパーティ出席など多彩なシチュエーションをもつ「Woman with Purpose」たちに支持されていることも付記しておく。
--{「アクリス」が継承する「コード・オブ・ザ・ハウス」}--
創業者アリスが大切にしていたザンクト・ガレン エンブロイダリーなど製法、モチーフ、素材を「コード・オブ・ザ・ハウス」と呼び、保存・継承しているのもアクリスならではの特徴だ。
たとえばAの字を思わせるトラぺゾイド(台形)のモチーフ、非常に稀少で耐久性の高い素材であるホースヘア、つくるのに高い技術力を要し、極上のファブリックの象徴でもあるダブルフェイスカシミアなどなど、アルベルト自身が「祖母から父に受け継がれ、そして私のDNAに組み込まれている」と語る種々の要素はアクリスをアクリスたらしめる重要なエッセンスとして存在している。
ここでアクリスが昨年発表した100周年コレクション(2023春夏コレクション)に目を転じてみよう。繊細なレースや、刺繍、ごくなめらかなカーフ、そして肌を品よく透けさせるシースルー素材、アートや建築にインスピレーションを得たウィットに富んだプリントなどはアクリスが一貫して取り上げてきた要素だ。
しかしそれらをまとう女性たちは、過去に生きるのではなく、まぎれもなく現在と未来を生きている。不変であるテーマ、スタイルを構成する要素を大切にしながらも、その時代の気分を取り入れる、変化を恐れない女性像、まさに「Woman with Purpose」の姿はここからも見てとることができるだろう。
このショーの様子を動画で見ながら、私は「不易流行」という言葉を思い起こしていた。不易流行とは、松尾芭蕉の俳諧理念を表す言葉で「世に変わるもの(流行)と変わらぬもの(不易)はともにあるが、その根元においては一である」ということを表している。
この解釈にはいろいろあるようだが、私が好きなものは「一見、不変(不易)に見えるものも、実はその時々に応じて細かく変遷(流行)している」という捉え方。本当に動かず、変わらなければそれは死を意味する。不変に見えるものも日々アップデートし、進化しているという考え方で、おそらくアクリスをはじめ、今の世に残る多くの老舗ブランドもこの意味で「不易流行」だと言えるだろう。
まずは栄枯盛衰の激しいファッション業界にあって40年もの間、クリエイティブ・ディレクターとして一線で活躍し続けるアルベルト・クリームラーに拍手を送りたい。そして、100年間「Woman with Purpose」を讃えてきたアクリスがこの先、見せてくれるであろう女性像のさらなる進化に期待したい。
きっとそれは“不変”なるエレガンスであろうけれど、その芯には変化を恐れない大胆さと、創造性への深いリスペクトがあるに違いないからだ。