『鎌倉殿の13人』いよいよ最終回…「三谷脚本」は史実とどう折りあったか 時代考証に聞く<上>
――『鎌倉殿の13人』の時代考証は、どのように進められたのですか。
大河ドラマは歴史をそのまま描くわけではありません。時代考証は、歴史的な観点から脚本家やスタッフからくる質問にその都度答え、出来上がってきた台本に対して会議でコメントするのが仕事です。時代考証の会議はコロナ禍の影響もあって、すべてオンラインで開かれました。会議ではスタッフが「ドラマとしてはこれでいいと思うが、歴史的にはどうでしょう」と時代考証に質問し、われわれがさまざまな学説の中から、このシーンはこの研究者のこの説を重視しよう、と相談して決めていきました(※1)。
※1『鎌倉殿の13人』の時代考証は坂井さんと、東京大学史料編纂所助教の木下竜馬さん、富山大学講師の長村祥知さんの3人が担当した。
三谷さんとは2020年3月の最初の顔合わせで1度お会いしただけですが、脚本制作が始まると矢継ぎ早に質問が来ました。これまで三谷さんが手がけた大河ドラマ『新選組』と『真田丸』は、どちらも戦国時代以降の話で、三谷さんも鎌倉時代にあまりなじみがなく、最初は手探り状態だったようです。当初は「戦国時代はそうでも、鎌倉時代はまったく違う」と指摘し、われわれからこうしたらどうかと提案することもありましたが、三谷さんはそれをかなり尊重し、どんどん脚本に取り込んでくれました。
当初は台本の第1稿ができて、考証会議でわれわれがコメントして第2稿ができて、それにコメントして第3稿、さらに小直ししてようやく最終稿という流れでした。後半になると三谷さんも慣れて、スタッフの皆さんもわれわれが紹介した本や論文を読んで勉強してくれたため、第2稿がそのまま最終稿、ということもありました。最後の方は撮影もかなり押していましたしね。
――三谷さんは鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』を「原作のようなもの」と言っていましたが。
『吾妻鏡』は研究者の間では「小説のようなもの」といわれるほど、いろいろなところで潤色(※2)が明らかになっています。三谷さんは『吾妻鏡』を精読していますが、その記述通りに脚本を書いてはいません。慈円が書いた『愚管抄』や、貴族の日記『明月記』などにあるエピソードも生かされています。
※2 潤色:話をそのままでなく、誇張したりある意図に沿って作り変えたりすること。
考証会議で「今は否定されています」「こっちを使った方がいいですよ」という指摘をすると、三谷さんは積極的に新説を採用してくれます。ただ、その場合でも、従来説や一般に知られている俗説に配慮し、こういう考え方もある、昔から言われてきたことも生かすとこうなる、というふうに、脚本に取り込んでいくんです。