「陰陽師」とは何者か。豊富な資料でその活躍に迫る展示が国立歴史民俗博物館で開催
―うらない、まじない、こよみをつくる―」が、千葉・佐倉の国立歴史民俗博物館で開催される。会期は10月3日~12月10日。
古代において成立した陰陽道は中世から近世へと数百年にわたり、その役割を広げながら時代とともに多様に展開してきた。本展は陰陽道の歴史と、そこから生み出されてきた文化をさまざまな角度から取り上げ、呪符など具体的な史資料をもとに考えるものだ。
展示は「陰陽師のあしあと~あらわれ、ひろがり、たばねられていくその姿」「安倍晴明のものがたり~実像から虚像まで」「暦とその文化~時間の可視化とその意味」の3章構成を予定している。
第1章「陰陽師のあしあと~あらわれ、ひろがり、たばねられていくその姿」は、古代日本において方位や時間に関する吉凶を占い、その知識を生活の様々な場面で活用する陰陽道の成立を追う。国家の公的な制度、貴族の生活にまで影響を及ぼすようになった陰陽道は、やがて中世にかけて武士にも広がった。さらに陰陽道は朝廷に仕える陰陽師以外の人びとにも広がり、仏教や神祇信仰とも重なりあって発展していく。戦国時代には日本列島各地に伝えられ、陰陽師が活躍するようになった。
近世に入ると陰陽師たちは、安倍晴明の子孫である土御門家を本所として組織化され、占いをする人々を陰陽道の名のもとに編成することが試みられた。天皇や将軍、大名などの権威を支える役割を果たすいっぽうで、占いや祭りを行い、呪符や神札を配ることで生活の安寧を祈った。本章ではこうした陰陽師の歴史から、その仕事などを豊富な資料によって整理する。
第2章「安倍晴明のものがたり~実像から虚像まで」は、いまも広く知られる平安時代の陰陽師・安倍晴明の実像と虚像に迫る。その事績がクローズアップされて多くの説話が生まれ、陰陽師のシンボル的な存在となった晴明。清明を模範として活躍した陰陽師と、彼らに期待されていたものに迫る。また、清明について生まれた多くの伝承は説話や芸能として豊かに展開しただけではなく、現代においては小説やマンガ、映画などの題材として親しまれるようになった。
第3章「暦とその文化~時間の可視化とその意味」は、陰陽師のもっとも重要な仕事のひとつであった、暦の製作と配布に焦点を当てる。近世の奈良における暦師・陰陽師であった吉川家を中心にその活動を具体的に見ていく。加えて、明治6年の太陽暦の採用によって生まれた、近代日本の時間観にも着目する。
フィクションなどを通して誰もが知る存在でありながらも、その実際の活動はあまり知られてこなかった陰陽師。彼らの仕事が日本の社会や文化に与えた影響を解き明かす展覧会となりそうだ。