約100年前の大阪で描くことを生業とした女性たち。「決定版! 女性画家たちの大阪」展が大阪中之島美術館で開催へ
約100年前の日本の美術界は、東京と京都がその中枢を担い、制作者は男性が大多数を占めていたという。そこで日本画の分野における女性の活躍に着目すると、大阪は他都市と肩を並べていた。
1912年に島成園(しま・せいえん)が20歳で文展に入選すると、その成功に触発された木谷千種(きたに・ちぐさ)や生田花朝(いくた・かちょう)なども官展に入選を重ねるようになる。美人画や歴史風俗画に加えて、江戸時代から大阪に興隆した南画(文人画)の分野においても、河邊青蘭(かわべ・せいらん)や融紅鸞(とおる・こうらん)などが真価を発揮した。
成功を収めた女性画家は、自らの画業を追求するだけではなく、後進の女性の育成にも注力。画塾を開き、門下生たちも師に続いて公募展や塾展に挑むようになったことで、大阪の女性画家の裾野はさらに広がっていった。
本展では「島成園と浪華の女性画家」展(2006年)の開催を端緒とする調査研究の成果をもとに、近代大阪の女性日本画家50名による約150点の作品と関連資料を展示する。
女性画家の活躍を再発見しながら、女性画家たちを育んだ都市・大阪の文化的土壌についても考える機会となるだろう。