「心」の次の時代は… 能楽師・安田登さんが子どもたちに願うこと
「魔法のほね」は、小学5年生の男の子たつきが、不思議な骨董(こっとう)店で甲骨文字が彫られた動物の骨「オラクル・ボーン」を手にすることから物語が始まる。祖父の力を借りながら文字の意味を読み解いていくと、儀式のために神々のいけにえにされる殷の時代の少数民族のことが書かれていた。たつきは友人2人とともに少数民族の人たちを助けるために古代中国にタイムスリップする――というあらすじだ。
物語には、女王や王が文字を知る人物として登場。その家来たちはまだ文字を知らないという設定だ。文字を知る人だけが「心」を持ち、たつきたちは心を通じて女王たちと意思疎通し、少数民族を助けるための交渉をする。甲骨文字や漢字を解読していくたつきとともに、漢字の成り立ちや面白さを知ることもできる。
心を意味する文字は、殷に続く周の時代(紀元前11世紀~同256年)に生まれたという。安田さんは、文字で出来事などを記録することで未来や過去という時間感覚を得て「人間に心が生まれた」と考えている。
だが現代では「未来を考えるために生まれたはずの心によって、人は未来に絶望している」と安田さんは憂える。不安などに苦しむ「心の副作用」が増大し、自殺者や精神疾患が増えていると考える。
安田さんは約10年前から、ひきこもりやニートの人たちと一緒に松尾芭蕉が「おくのほそ道」で歩いた道を一緒に俳句を詠みながら歩くという取り組みをしている。「彼らは真面目で、心が非常に発達した人たち。未来のことも過去のことも考えすぎて苦しんでいる」と感じている。「心が肥大化し、人間が心に押し潰されそうになっている」と危惧する。
安田さんは、科学技術の発達でコミュニケーションのあり方が急激に変化する中、「心を上書きする『次』も生まれ得るのでは」と考えている。心に代わる何かが生まれ、心による苦しみから人々が解放されると期待する。インターネット上の仮想空間「メタバース」などから、心に代わる何かが生まれてくる可能性を感じている。
それでは心に代わって次に何が生まれてくるのか。安田さん自身はその答えを持っていない。「これからの時代に生きる子どもたちが生み出すもの」と考えている。文字と心が生まれた時代を描いた「魔法のほね」を「心の次」を考えるヒントにしてほしい、と願っている。
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安田さんの大胆な発想の源はどこにあるのか。本人は「一つのことの専門家ではないから、自由に考えることができる」と話す。安田さんが精通する分野は甲骨文字にとどまらない。ワキ方の「下掛宝生流」の能楽師として活躍する一方、シュメール語、論語、聖書などに通じ、さらには風水やゲームの攻略本なども含めて40冊以上の著書がある。
甲骨文字を学ぶようになったのは、高校時代にはまっていたマージャンのパイの成り立ちに興味を持ったのがきっかけだった。27歳のときに能楽師、鏑木(かぶらき)岑男(みねお)の謡(うたい)に感動して弟子入りしたのは、当時仕事で演奏していたジャズに生かせるとの考えがあったからだという。
自らを「飽きっぽくて、ものにならない」と評するが、それは行動力と好奇心の裏返しでもある。そんな生き方を「三流」と表現している。これはレベルが低いのではなく、一つのことを極める「一流」に対し、複数の分野を知っていることを意味している。2021年には「三流のすすめ」(ミシマ社)を出版し、その楽しさを説いた。
三流は「ゼネラリスト」と共通しそうだが、安田さんによるとだいぶニュアンスが違うようだ。「ゼネラリストというと、なんだか途端に楽しさがなくなる気がしませんか? 三流は、常にわくわくしている感じなんです」とちゃめっ気たっぷりに笑う。少し自虐的に自分自身を楽しむところも、三流の流儀かもしれない。【小林多美子】