水戸芸術館現代美術ギャラリーが、アートを手がかりにケアを「つながり」へとひらく
人間社会において「誰もが相互に依存しながら生きている」という認識に根ざす本展は、「ケアリング」と「マザーフッド」というふたつの言葉の間に区切りを入れて解きほぐすことから、社会におけるケアを「ひとり」から「つながり」へとひらくことを試みるものだ。
「ケアリング(caring)」とは、”care”の現在進行形であり、「ケアをする行為」を指すもの。スラッシュ記号の後に続く「マザーフッド」とは母親を指す”mother”と「その状態にある」を意味する接尾語”-hood”が合わさった「母親である期間や状態」を意味する言葉であり、両者には本質的な結びつきがあると信じられてきた。
そうした本質主義的な幻想を問い直す試みとして、本展では「母親」や「ケアを担う人」という属性を持つ個人に関する多様な表現を提示。同時に、ケアの責任を負う状態にあることや、その個別具体性を受容する社会の実現についての考えを促す意図が、本展タイトルの「『母』から『他者』を考える」の部分にも込められているという。
展覧会タイトルに付属する、「いつ・どこで・だれに・だれが・なぜ・どのように?」という問いかけはまた、「誰もがさまざまな場面でケアと関わっている」というケアの多元性に意識を向けせるものだ。
気づきや思考の手がかりとなるのは、1960~70年代の第二波フェミニズムの動きに共鳴し、「ケア」に関わる行為を家庭内へ抑圧することに異議を唱えたマーサ・ロスラーやミエレル・レーダーマン・ユケレスらの初期作品など、「ケア」の問題に光を当てる作品の数々。
ほかにも、写真家・石内都が亡き母と向き合うためその遺品にカメラを向けた《motherʼs》と子どもの着物に縫い込められた生への祝福や人々の願いをとらえた《幼き衣へ》、「私(わたくし)の記録」に注目するAHA![Archive
for Human Activities
/人類の営みのためのアーカイブ]が、ある個人の「育児日記」の再読をから制作した「わたしは思い出す」など、同時代を生きるアーティストたちの作品が国内外から集まる。
出品作家は、青木陵子、AHA![Archive for Human Activities /人類の営みのためのアーカイブ]、石内都、
出光真子、碓井ゆい、ラグナル・キャルタンソン、二藤建人、マリア・ファーラ、
リーゼル・ブリッシュ、ホン・ヨンイン、本間メイ、ヨアンナ・ライコフスカ、マーサ・ロスラー、 ミエレル・レーダーマン・ユケレス、ユン・ソクナムの15組。
展示に加えて、「美術館」を、ケアする人・ケアされる人にとっても訪れやすい場所へ公的領域とケアのつながりを強めることを目指した、さまざまな展覧会関連プログラムも多数実施するという。詳細は公式HPの「関連プログラム」や「展覧会に行ってみよう!」を参照してほしい。
特定の状況や他者とのつながりにおける「自己と他者の境界の曖昧さ」やその過程で生まれる「葛藤」、自己の変化といった人間の心の機微をとらえた豊かな表現を通して、大きな主語や物語によって見過ごされてきた問題や、当然視されてきたものを問い直す本展。
現在誰かをケアしているという人はもちろん、縁遠く感じているという人にとっても他人ごとではいられなくなる。そんな問題提起を試みるメッセージ性に富んだ本展はまた、人の心や思考を揺さぶるアートの力を実感する機会にもなるだろう。