マティス展が東京都美術館で待望のオープン。150点もの作品が見せるマティスの転換点と色彩の歩み
英語タイトル副題は「the path to color(=色彩への道)」。マティスがいかにのびのびとした色彩表現へと到達したのか、思索あふれるその過程を早速見ていこう。
アンリ・マティスは1869年フランス生まれ。裕福な家庭に育ち高校卒業後は法学を修め法律家を志したが、21歳の長期療養中に母から絵具箱を贈られたことをきっかけに徐々に絵画の道を歩み始める。1890年のことだった。
展覧会は、その10年後に描かれたマティスの《自画像》(1900)で幕を開ける。絵筆を手にしてから10年、その間には国立美術学校への不合格、結婚と子供の誕生、初の彫刻の制作など様々な出来事があったが、決定的だったのは象徴主義の画家、ギュスターヴ・モローとの出会いと別れだ。
自画像に描かれたマティスの顔は困惑したような、何かを決意したような複雑な表情を見せるが、このときマティスは師・モロー亡き後に自分が進むべき道について考えていたのだろうか? 本作はマティスの代名詞でもある明るい色彩とはほど遠いが、その筆致はフォーヴィスムや今後のマティスが獲得していく大胆なスタイルを予感させる。本作のほか、日本初公開となるマティス初期の傑作《豪奢、静寂、逸楽》(1904)も1章で展示される。
自らの画業を切り開く予兆を想起させる《自画像》が冒頭にあることからもわかるように、本展は「マティスの転換点となるような作品が多く含まれていること」が特徴だと藪前知子(東京都美術館学芸員)は話す。
画家として順風満帆な生活を送っていたマティスの生活を大きく変えたのは第一次世界大戦だった。二人の息子を含む身の回りの人々が徴兵され、画商やコレクターともこれまでのようなやりとりができなくなったマティスは孤立していく。そんな時期のマティスの心境を直接反映したかのような印象的な作品が、世界大戦勃発の翌月に描かれた《コリウールのフランス窓》(1914)だ。マティスは窓のある風景を多数描いたが、本作の窓の外(あるいは窓は閉じられたままか?)には何も描かれず真っ黒なまま。2章では、未完とされるミステリアスな本作をはじめ「窓」に関する多彩な表現を楽しみたい。