真鍋公希 『シン・ウルトラマン』は何を継承したのか
(『中央公論』2022年9月号より抜粋)
青と黄の粒子が立体的に波打ちながら、徐々に「シン・ゴジラ」という文字を形作り、そこから「シン・ウルトラマン」のタイトルへと移行する。『ウルトラQ』から『ウルトラマン』へと続くあの有名なタイトルカットを現代の映像技術で再構成したオープニングに、これから始まる1時間52分への期待を高めたのは私だけではあるまい。
6月23日時点で観客動員数が250万人を突破した『シン・ウルトラマン』。2016年に公開された『シン・ゴジラ』に続く特撮ジャンルの代表作の大規模なリブート(再起動)は、ひとまず興行成績の点では大きな成功を収めたといってよいだろう。半世紀以上前に製作された特撮ジャンルの二つの古典は、見事、現代に蘇った。
この特撮リバイバルを15年前に想像できた者は、おそらく存在しないだろう。当時、「スーパー戦隊」と「仮面ライダー」両シリーズこそ継続して製作されていたものの、04年の『ゴジラ FINAL WARS』で国内でのゴジラ作品は製作休止、07年には円谷プロダクションが経営難から映像プロダクションTYOの傘下となっていた(10年からフィールズの傘下)。
「クールジャパン」のコンセプトのもと、アニメやマンガは海外でも競争力のあるソフト産業として注目される一方で、特撮はその波から取り残され、消滅の危機に瀕していたのである。この状況に対する悲壮感は、12年に東京で開催された特別展「館長 庵野秀明 特撮博物館」の初期のタイトル案が「さらば、特撮」であったことからもうかがい知ることができよう。
幸いなことに、この「特撮博物館」は多くの来場者を迎え、その後、全国4都市を巡回することになった。これが一つの転機となって、近年では、特撮の神様・円谷英二の故郷である福島県須賀川市に円谷英二ミュージアムと須賀川特撮アーカイブセンターが相次いで開館し、今年には東京都現代美術館で生誕100年を迎える特撮美術監督の井上泰幸(やすゆき)展が開催されるなど、特撮は一つの「文化」としての地位を確立しつつある。
消滅の危機を目の当たりにしたことが起点となった、特撮の遺産を保存・展示しようとする気運の高まり。この流れをさらに加速させたのが、『シン・ゴジラ』の大ヒットだった。この映画が、従来の主たる観客層であった子どもや熱心なファンのみならず、多くの一般観客に支持されたことで、特撮は再び息を吹き返すことができたのである(もっとも、こうした流れとは無関係に、子どもたちを主な視聴者としている特撮テレビ番組が、苦境を乗り越えて製作され続けていることも忘れてはならない)。この成功がなければ、『シン・ウルトラマン』の企画もあり得なかっただろう。
それでは、この特撮リバイバルの最前線ともいえる『シン・ウルトラマン』は、円谷英二が活躍していた特撮の黄金時代から、何を引き継いでいるのだろうか。