Dr.國井のSDGs考(中) 海外で過ごしたからこそ分かる日本の良さと弱さ 東京大名誉教授・黒川清さん
◆「霞が関」の働き方改革を
黒川 あなたは両親や組織の上司、先輩などから留学派遣されたわけでなく、自ら海外でのキャリアを選択した。そうやって海外に出ていくと、日本を思う「愛国心」みたいな気持ちがグッと出てくるんだと思うよ。
國井 確かに、どうして日本は変わらないんだろうって思います。例えば、教育。優秀な学生はどんどんスキップ(飛び級)させたり、個別の教育を与えたりする選択肢も作ればいい。学校に行かなくても大学や大学院にいけるような制度、勉強が嫌いでも別の面で優れた能力を持つ人にもそれを伸ばす道を作るべき。日本では秀でた才能を伸ばすこと、どんな分野でもいいんですけど、才能や個性に応じた教育・訓練というのが難しい。
黒川 なぜ日本は年功序列で、就職するのは新卒で、例えば銀行に入ってキャリアを作ってもA銀行からB銀行に移りにくいのか? C工業からD工業に移りにくいのか? それは、明治の開国から今までそれでうまくいったからだと思う。見かけ上はうまくいった。変えていこうにも、立法府も行政府もそれが常識と考えていたからだろうね。大学も基本は同じですよ。
國井 聞いてくれる人、その必要性を感じている人はいますが、やるかというとやらない(笑)。ただ、今の官僚は本当にかわいそうだと思います。優秀な若い人が辞めていく。メンタルを壊す人もいる。仕事量が多過ぎて、どのような日本の未来を作るべきかといった創造的な仕事ができない。昔は自分たちが日本の未来をつくるんだという自負や気概があったけれども、今はそれらをもっていても、潰されたり消えていってしまうといいます。
黒川 なぜ変わってしまったんだと思う?
國井 昔は省庁って自分たちが誰よりも情報を持ち、権限も持っていた、そして自分たちが日本の未来を作るんだという自負を思っていたと思うんです。それが今では、多くの権限が霞が関から永田町に移ってしまい、日本の未来でなく永田町を見ながら仕事をしている幹部が増えたともいわれています。国会対応は大変で、夜中、時には朝方まで仕事をしないといけない。働き方改革を推進すべき霞が関が最もブラックな組織だという人もいます。課題や問題が増えているのに人員も給与もそれに伴って増えない。国会対応など旧来のやり方は変わらず、権限や権力も減り、日本の未来を考える創造性も企画力もなくなっている。メンタルや体を壊す人、辞めていく人が多い中、それを補強する公募にもいい人が応募しないという悲惨な状況だそうです。この状況は日本にとって致命的です。
黒川 これには日本の歴史的背景もあると思う。徳川時代の鎖国からの開国の時期は、ヨーロッパでは産業革命の時代の英国他の王国の動き、新興国アメリカは南北戦争が終わって、一つの国家として始まっていたころ。日本も200年超の鎖国から開国のころは岩倉使節団など政府、政治、企業、教育・大学などがよく頑張ったと思います。良いところがたくさんある。でも何が弱いのか、これを認識するのはとても難しい。これが私の最近考えていることです。明治維新から第二次世界戦争の敗戦、その後の回復、ジャパン・アズ・ナンバーワンでちょっと浮かれた、などなどですね。
◆非難ばかりのメディア
黒川 私が最近考えているのは70年余の戦後日本の政官産学などの背景と認識、そして現在とこれからのアジェンダです。あなたや私のように、「独立した個人」として海外でキャリアを何年か過ごした人ならすぐに感じることができる日本の「良さ」と「弱さ」の認識です。日本の民主主義とは? 三権分立とは? 高等教育の目的は?などなどです。特に現在のグローバル時代とは? 世界の動きは? 特にデジタル時代に隠し事は難しい? 国家の強さ、そして特に弱さを知ることは、より大きい責任ある立場の人たちにとってはとても大事なことだと思います。このような素養は子供の時からの小さな失敗から始まるのだろうと思います。
國井 グローバルヘルスに協力してくださっている議員は、どの党でも意識も志も高いですけど。でもまあ、これまで世界で仕事をしていて、未来を変えるには、多様な人が集まってまずは夢を語り、ビジョンを作ることの大切さを感じました。しかし日本では、メディアを含めて問題を見つけて批判や非難することが多く、ビジョンや夢を語り、そのためのアプローチや解決策を考え、アクションにつなげることに時間やエネルギーを使っていない。あら探しや問題の追求、またできない理由を考えている暇があったら、それをどうやって改善するか、解決するか、その方法を探して行動を起こすことにエネルギーを使ってほしいです。良いところも比較できないとありがたみもわからないと思いますね。
黒川 失敗をとがめられるのが嫌なんですね。
國井 でも私は最近、日本に帰ってきて、日本のよさもすごく感じるんです。例えば、もの作りの細かさは世界一ともいえるでしょう。外国人が日本に来てすごいと思うものはたくさんあるようですが、そのうちかなりポピュラーなものは何だと思いますか?
黒川 トイレですか?
國井 そうです。温水洗浄トイレに、皆びっくりしています。どこにでもありますからね。カップラーメンも日本が作ったでしょう。あれも研究に研究を重ねたすごい発明品です。世界中で売られています。
◆「総理が…」ばかりのダボス会議
國井 先生は内閣の科学顧問もやっていたじゃないですか? 日本の科学技術について、思い出深いことはありますか?
黒川 日本学術会議のメンバーになったときから「アカデミアの社会での責任とは何か」ということの歴史の世界と日本について考え、取り組んできました。それは私の十数年の在米での経験があったからかもしれません。学術会議を定年で退いてからは、安倍晋三首相から、科学担当の内閣特別顧問を、といわれて、2025年までを視野に入れた成長戦略の指針「イノベーション25」をまとめました。福田康夫内閣になってからも顧問は続けさせて頂き、2008年のG8サミットでは初の科学技術分野の閣僚会議を実現させました。これは洞爺湖サミットの時で、以来、これはG8(今はG7)プロセスの一部になりました。
國井 黒川先生は世界のリーダーが集まるダボス会議にも出席されましたよね。ダボス会議に行ってよかったことは何ですか?
黒川 1990年代から十数年ほど、ほぼ毎年参加しました。また、福島原発事故の「国会事故調」も参加しました。よかったのは、いろいろな方たちにお会いできたことですね。これを始めたシュワブさんとは同い年です。当時は日本からの参加者は、ビジネスの人が主ですが、あまりおられませんでした。バブルの後は、「総理がこうだから」とか「いいわけ」を言ってばかり。ダボスには政治家も来るけれど、実業家が主流で、政治や学者といったリーダーも集まる会議です。だから、「自分はこういうことをやる」と言わなくてはいけない。2011年の米中枢同時テロ後のダボス会議で、あるドイツの実業家は、「ドイツ政府としてはテロ対策は『これこれのことをする』が、私の会社はさらにコレコレのことをやっている」とはっきり言ってました。でも、日本の代表は「総理が」「政府が」が多くて、それはちょっと違うよ、と思いました。
國井 大企業のトップも、会社の利益・繁栄に関わるビジョンは持っていても、世界情勢を見据えてグローバルに貢献しようとのビジョンを持つ人は本当に少ないですよね。世界のために、とまではいかなくても、日本のためにもっと社会貢献しようと努力する企業がもっと増えてほしいと思います。
◆会議のための会議はダメ
國井 ダボス会議では新たなイニシアチブがいろいろ動きますが、日本が主催する国際会議やフォーラムって、ロジスティクス(ロジ)はしっかりしているけれど、偉い人を呼ぶこと、多くの人を集めることなどを重視して、成果物としての中身を十分に議論したり煮詰めたりできていないことが多いじゃないですか。欧米での会合に出席すると、ロジは手薄でも成果物を事前に考えて準備したり、中身を重要視していることが多い。何のための会議なのか、会議で何を生み出すのか、将来何につなげるのか。日本の場合、会議のための会議ということもあるし、開催するだけで疲れちゃって、その会議を国際的にどう活用するか、どのような影響を与えるかといった視点があまりないことが多い。本当にもったいないと思うことがあります。
黒川 だけど、それは役所に言ってもだめなんです。役人は立法府で決まったことを実行する人たち。そういうことをやるのは政治家、国会議員です。でも、政治家はまず地元のことが気になりますし…。
國井 今の政治家で、いいなと思う人は誰ですか?
黒川 多くの人を知っているわけではないですが、多くの人たちはまじめで、することが多くて、勉強も大事だし、分野も広く、それなりに深くご存じで、本当に大変だと思います。民主国家の中で日本の課題は、二世議員が多い、民主制度のありよう、立法府と行政府の関係性、選挙制度など、考えるといろいろあります。私の立場から言えば今まで主に関係が多かったのは厚生労働省、文部科学省、そして福島原発事故の時は、日本の憲政史上初となる立法による「東京電力福島原発事故調査委員会」の委員長を担当したフォローが続いています。立法府の方々は日本の法律を決める、しっかりこの国を導いていく責任があります。選挙制度などいろいろな課題はありますが公務員である役人、行政府とは違う。政治家一人一人には法律を「決める」という責任がある。だから、国会議員が頑張ってくれないとね。
國井 国会は立法府ですからね。憲法が長年こんなに変わっていない国はあまりないじゃないですか。ちなみにドイツは第二次世界大戦後、60回以上も憲法が改正されています。憲法も法律も時代や状況が変われば変える必要も出てくる。
◆日本のIT化妨げる個人情報保護法
國井 最近、私が日本の発展を妨げている一つと感じている法律が個人情報保護法。日本のIT化や情報やプロセスの単純化・標準化が進まない要因の一つはこの法律だと思います。個人情報は守りながらも、公益を上げて、最終的に国民一人一人のためにも効率・効果を上げる方法があるのに、それを阻害している事例が多いようです。
コロナ禍で多くの国が入国制限や検疫強化をしましたが、欧州では携帯で簡単に作れる入国や検疫のための書類が、日本ではおそらく6枚くらい、名前や住所、電話番号、同じことを書かされて、入国手続きや検疫に多くの人手を割いていました。ワクチンもPCR検査もしていたのに、日本の正式な書類にPCR検査結果が書かれていないといって、入国できなかった人もいます。日本のITの遅れは法律や制度を含めて、相当なテコ入れをしないと解消は難しいと思います。
黒川 デジタルって見えないし、手で触れないもの。日本人は手で触れないことを頭で考えるのが上手でないような気がする。なぜでしょうね。
國井 失敗を過度に恐れる日本の文化もあると思います。今の時代、例えばソフトやアプリはまずはバージョン1を作って、そこからユーザーのフィードバックも受けながらどんどんどんどん良くしていくのが当たり前じゃないですか。それなのに、いまだに日本は最初から完璧なものを作ろうとする。新型コロナでは、厚労省が感染者等情報把握・管理システム(HER-SYS、ハーシス)を作ったけれど、入力する現場や利活用する関係者には評判がとても悪かったようです。彼らの声が反映されたものでなく、かえって現場の仕事量が増えて大変だったとか。
黒川 政策が時にうまくいかないことはある。そこは学び改めていく。政治家がちゃんとしなくてはいけないね。
(構成・道丸摩耶)