エルメス会長も応援、新宮晋のウインドキャラバン 「風に乗り世界に散った」人類は、やはり一つの家族だった
高級ブランド「エルメス」創業家5代目のジャンルイ・デュマは、制作にあたりこう希望した。「屋上に設置する騎手の像がエルメスの技術と伝統を象徴する。あなたの作品はエルメスの未来を表現してほしい。作品に反射した光が騎手の像を照らすと、すごくすてきだと思うんだ」
「話していると、うっとりするくらい詩人なんですよ」と新宮が懐かしむ。そして確固たるエルメスの哲学がある人だった。「史上で人間が作る最高のものを作る」。そのデュマが、ウインドキャラバンを応援してくれた。
初めて会ったのは、メゾンエルメスの打ち合わせだった。設計したイタリア人建築家レンゾ・ピアノ(85)のパリ事務所で大きなテーブルを10人ほどで囲んだ。デュマはちらちらと新宮を見ながら、手元の小さなノートに顔をスケッチしていた。
少し後の1999年9月、ウインドキャラバン発表の場にデュマも招待した。帰り際、「とても興味がある。明朝、家に来てほしい」と告げられた。自宅に行くと、エルメスの文化担当と経理担当もいた。デュマは「ウインドキャラバンはエルメスの哲学に通じる。金銭的な支援だけでなく、従業員を派遣して作品の据え付けを手伝うことで芸術を体験させたい」と申し出た。
海外5カ所を巡るウインドキャラバンは2000年6月、兵庫県三田市のアトリエ前の田んぼから始めた。
野外シンポジウムには建築家の安藤忠雄(81)やフランスの美術評論家、ブラジルの彫刻家らが参加。農道で狂言があり、大倉源次郎(65)=現人間国宝=らが出演した。
次の地はニュージーランドの無人島。先住民マオリの聖地で4部族の許可が必要だったが、「新宮の芸術はマオリの精神と一致する」と認められた。ある部族の代表は風に舞う作品を見て言った。「風がわれわれをこの地に運んできたと言うけれど、本当はわれわれ自身が風だったのだ」
フィンランドの北極圏では氷点下20度以下の中、凍結した湖に作品を並べた。シンポジウムに参加したヘルシンキ大学の教授は「どうやってこの五つの場所を選んだのか。全てシャーマニズムが色濃く残っている重要な場所だ」。民族学の権威に指摘された。
アフリカ大陸のモロッコ。赤い岩山に鮮やかなピンクの作品が翻り、ベルベル人の子どもたちが毎日遊びに来た。
モンゴルをへて、赤道に近いブラジルの砂丘へ。最終地点のオープニングセレモニーでは、世界的振付家のイリ・キリアンが子どもたちを演出。風車を持った手を広げ、斜面をゆっくりと天使のように下りていった。
言葉、宗教、肌の色が違っても、心は通じた。冗談を言い合い、涙が出るほど笑い合った。「アフリカで生まれた人類の祖先は、風に乗って世界に散らばったという。その散り方みたいなのが見えた。人間ってやっぱり一つの家族だった、と」。それぞれの環境で、自然を巧みに生かして暮らしていた。
どの場所でも子どもたちが参加し、絵を描き、歌い、踊った。未来へ地球をつなぐ。主役は子どもたちだった。
フィンランドにはデュマもチャーター機で向かう予定だったが、直前に病気が悪化して実現しなかった。ウインドキャラバンを終えた後、寝たきりの中、食事に誘ってくれた。全体をまとめたビデオを食い入るように見て、言った。「誰もができないと思ったプロジェクトを、あなたはやり遂げた。よくやったね」
最初から自信があったわけではない。ただ夢中になり、実行あるのみで突き進んだ。それを世界中の友が、出会った人たちが支えてくれた。
「どこかで誇りを持っているのは、いいものさえ作っていれば、いい人に出会える。本当に分かる人には分かる。そういう人に出会える喜びで生きているんでしょうね、きっと」=敬称略