円通寺観音堂 安土桃山時代の建築物と推定 埼玉・行田
調査は鴻巣市教委生涯学習課の協力で昨年6月から実施。来年3月までに結果を取りまとめる。
21日に行われた発表会では、観音堂の改修などを記す棟札が屋根裏から2枚発見されたことなどを明らかにした。その記述や「新編武蔵風土記稿」などによると、観音堂はもともと地域農民の自治による惣村の建物だったとみられる。天正18(1590)年に忍城(行田市)を攻めた石田三成の愛馬の霊を鎮めるため、馬頭観音菩薩座像をまつった可能性があるという。その後、宝永7(1710)年に改築、大正14年に屋根を瓦ぶきに、平成8年に現在の銅板屋根に改修された記録が残る。
またお堂内部のはりの上にある部材「本蟇股(ほんかえるまた)」には、忍城をモチーフにした彫刻が施されている。一般的な本蟇股は草花や十二支、霊獣、霊鳥といったものが彫刻されることが多く、横山教授は「寺社建築で城が描かれるのは非常に珍しい。領主と領民の関係が良好だった証拠と推測される」と説明する。
さらに建築に使われた木材のうち、建物東側の柱を対象に「高精度放射性炭素年代測定法」や、年輪の中心部から最外層までの複数部位を測定する「ウィグルマッチ法」など最新の技術で材齢を調査。すると、「約96%の確率で永禄元(1558)年~天正8(1580)年の伐採」と判明した。
これらのことから、観音堂の建立年代が安土桃山時代と推定され、中世の歴史的建造物としては県内で6番目の古さになるという。
外観は自由に見学できるが、内部は施錠されているため、希望者は電話(048・569・1455)での予約が必要だ。円通寺住職の長沢知恩さん(45)は「調査結果に大きな感銘を受けた。先人の苦労で建立された観音堂を後世に引き継ぎ、大事にしたい」と話した。(兼松康)