『「同性婚は認めない」という日本の法律に、マイノリティが苦しむ「根本的な理由」』への皆さんの反応まとめ
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「家族なんて、居たことがない」そう思った人もいるかもしれない。数年前のわたしは、少なくともそう断言していた。利害のバランスを気にしたり、顔色を伺ったりする関係性を「家族」と呼びたくなかったから。
それでも親族での集まりは定期的にあったし、衣食住に不自由もしてこなかった。養育義務は十分に果たされていて、それを家族と呼び慕わないのは、じぶんがワガママな奴だという気持ちがしたものだ。
逆にあなたやわたしが誰か・何かを「家族」だと感じていても、その気持ちが無いことにされる場面もある。たとえば一緒に暮らしている動物が誰かから害されたとき、それは「器物損壊罪」として手続きされる。長年共に暮らしてきたかけがえのない命でも、法律上は所有物でしかない。
他にも、生身の女性そっくりのドールと同居している人の話を聞いたことがあるが、その人の財産を”彼女”が引き継ぐことはできない。
「そりゃそうだ、だって人間じゃないんだもの」…という納得の仕方を、多くの人はしているのだろうか。少なくとも、わたし自身は法や制度に対して、そうやって解釈している節がある。法律は、人間同士の間に起きることの為に定め・運用するものだと認識しているから。
気持ちとしては、「その人が家族として扱っている対象について、外野が”それは変だよ”って言うのはなんと失礼なことか」と思っている。だって、我が家のかわいい猫が誰かから「しょせん猫」と言われ、ぞんざいに扱われることには我慢が出来ないし。
つまるところ、「家族」の問題にはそういった「本人の感情」と、生活を進めていく上で生じる「実際的なこと」が含まれているんじゃないかって思っている。
でも実際、そこまで細かく考えている人って、どれほど居るんだろう。「一つ屋根の下に暮らしていれば家族」という曖昧な感覚でも、あまり困らず暮らせてしまうことがほとんどじゃないか。わたしの親たちがそうであったように。
今回取材した大学時代の知人、Kanさんは今年7月にイギリスへ移住した。彼にはイギリス在住のTomさんという同性のパートナーが居る。
5年に及ぶ交際期間のほとんどは、お互いが行き来する形の遠距離恋愛だった。コロナウイルスの流行によって各国では入国が厳しく制限され、まったく会えなくなってしまった二人は、ついに結婚へと踏み切った。
事情を知らないと、「コロナが二人の絆を強めたんだね」なんて、おめでたい頭でコメントをしてしまいそうになる。しかしそこにあるのは、本人たちの感情も生活も、外野から勝手に”正しさ”をジャッジされてしまう現状だった。
日本も寒さを増してきた11月の初め、オンラインで取材をさせてもらった。9時間の時差があって海を隔てていても、対面で気軽に話せるなんて便利な世の中だなぁと思う。
わたしが大学時代にイギリス留学したときは iPhone が普及し始めた頃で、慣れない face timeで街のWiFiを拾いながら恋人と繋がっていたっけ…なんて思い出に浸っていたら、はにかんだ笑顔のKanさんが画面に映った。次ページは:コロナ禍になって会えなくなった前へ123次へ1/3ページ