受験リポート 費用は年間1200万、偏差値30台からの医学部受験の夢と現実
■中学レベルから
京都中心部の室町通に位置する医系専門予備校「京都医塾」。「医学部絶対合格」の夢を胸に、集まった生徒たちが切磋琢磨(せっさたくま)している。1対1の個別指導と学力に応じた集団授業を組み合わせた指導方法で、生徒のカリキュラムは一人一人の学力に応じて完全フルオーダーという特徴がある。それだけに生徒1人にかかる費用は個人差が大きく、最大で年間1200万円かかったケースもあったという。
「集中して勉強ができ、今年こそはと手応えを感じている」と話すのは今年、4浪目を迎え、背水の陣で入試に挑む男子生徒(22)。別の医学部受験の大手予備校で2年半を過ごしたが、思うように成績が伸びなかった。
京都医塾に転塾した直後は「中学レベルの勉強内容にも抜けがあった」厳しいスタートだったが、生徒1人に対し、十数人の講師が指導に当たり、授業の空きコマの自習方法まで助言。塾関係者がそろって「塾での滞在時間は塾生の中でナンバーワン」と言い切るほど勉強漬けの生活を経て、志望校が射程圏に入った。
父や兄も医師という家庭で育ち、医師以外の将来は考えていないという。
「受験をやめようと思ったことは一度もない。何としても医師になりたい」
こうした医系専門予備校の門戸をたたく生徒は親も医師だったり、何代も続く開業医の家系という人も少なくない。
塾の関係者によると、保護者世代が受験を経験した1980、90年代は偏差値はそう高くない私立大医学部もあったというが、医学部人気の上昇とともに難度は上がり、現在では合格最低ラインは総じて高く、最低でも早稲田や慶応の理系学部程度の学力レベルが必要になるという。
医学部難化の現状を理解できておらず「自分の経験から『私立大なら入れるだろう』と、結果的にわが子を追い詰めてしまう保護者も少なからずいる」と清家二郎塾長。そのため京都医塾では入塾前に必ず両親同伴のカウンセリングを実施し、医学部受験の現状の説明から行う。
■何浪しても医学部
受け入れ生徒数は現在約65人。生徒一人一人に専用の個室ブースがあてがわれるため、最大でもブースが用意できる70人までしか受け入れることはできない。
2畳ほどの広さのブースをのぞくと、備え付けられた机や本棚、ホワイトボードなどがあり、合格祈願と書かれたお守りが飾られているなど自室のようだ。個別授業もここで受ける。壁面には数式や英単語などが書かれたメモがびっしりと貼られていた。
このブースで勉強に励むのは「何浪してでも絶対に医師になりたい」という山形県出身の女子生徒(19)。両親も医師でコロナ禍に患者に向き合う献身的な姿勢にひかれ、自らも強く志すように。親元を離れ、単身京都で勉強を続ける。「将来は離島の地域医療を支えられる医師になりたい」と目を輝かせた。
生徒の受け入れが65人とは小規模な印象だが、その規模だからこそ、「生徒それぞれに合わせたきめ細やかで手厚いカリキュラムが組める」と清家塾長は語る。成績でふるいにかけることはせず、「どれだけの熱意と覚悟があるかを問う。一人一人に合わせた指導と本人の努力があれば学力は伸ばせる」という。
■偏差値40台からの合格
今春、京都医塾から久留米大医学部に合格した千葉玄人さん(20)。入塾前の学力チェックでは「中学レベルから勉強をやり直す必要があり、『合格まで3年はかかる』という塾長の言葉に危機感を持った。でもそこまではっきり言ってくれたことで信頼もできた」と振り返る。
中学受験で親元を離れて北海道の中高一貫の進学校に進んだが寮生活に加え、部活動に打ち込み、在学中の全国模試では偏差値40台だった。学習習慣もなく「まずは机に長時間座る練習からでした」と苦笑。提示されたカリキュラムは1日14時間勉強机に向かう必要があった。「最初は多過ぎると面食らった」が、次第にこなせるように。1年間で合格切符をつかんだ。「先生を信じて言われたことを全力でやり切れたからこそ合格できた」とほほ笑んだ。
だが、努力すれば必ず実を結ぶ、というわけではない。医学部に合格できず、進路変更する受験生もいる。
きょうだいが多く経済的理由から医学部進学は国立大に限定し、浪人は1年までという期限付きで入塾した女子生徒は、1年間で合格圏内まで成績を引き上げたが、共通テスト本番で力を発揮できず最終的には最難関大の看護学部に入った。
別の男子生徒は全国模試で偏差値30台からスタートし、数年がかりで私立大医学部への進学を目指したが、2度目の受験後に「今回の自分のチャレンジは終了」と薬学部へ進路変更した。ただ、この男子生徒は「それでもやはり夢を諦められない」と、薬学部を卒業する6年後に再挑戦したいと話しているという。