連載:庄司朝美「トビリシより愛を込めて」第9回「Would you like a cup of tea?」
トビリシに来てまだ間もない頃、知り合いもおらず毎日雪ばかりで、ただひたすら街を歩き回っていた。そんなときに偶然入った画材屋の店主が戢岩(Ji
Yan)さんだった。この国での生き方がまだ分からなくて、画材という良く知るものを手がかりに日常のきっかけを探して店に迷い込んだ私たちを、奥の自邸へと招いて温かいお茶でもてなしてくれた。中国の天津出身、知的で大陸的な包容力のある岩さんは、久しぶりのアジア人の顔が懐かしくて、と言って、ぐい飲みのような小さな茶碗が空になるたびに甘いのや苦いの、花の香りのする何種類ものお茶を小さな急須で注いでくれた。1969年生まれの岩さんは、毛沢東が死んだ日を覚えているという。ソヴィエト時代のジョージアと同じように共産主義体制下の時代に育ち、その後の束の間の自由な時代も知っている。いつ訪ねようとも私たちのためにお茶を沸かし、その人生の1コマ1コマを鮮やかに話し聞かせてくれる岩さんがいなかったら、もうしばらく迷子だったかもしれない。
16~17世紀、ジョージア西部はオスマン帝国の一部だった。アルメニアに続き世界で2番目にキリスト教国となったジョージアだが、かつてイスラム教国の支配下にある時代もあったのだ。あるとき、岩さんが生き生きとトルコを旅したことを話してくれた。かつてのオスマン帝国がどのようなものだったのか見てみたかったし、陸続きで隣り合う国との国境を徒歩で越えられるというアイデアは新鮮に思えて、トルコへ行くことにした。
11月、トビリシを出て西へ向かった。沼さんの運転でトルコ国境近くの街バトゥミへと車を走らせる。しばらく前に太陽は沈んでしまって、ヘッドライトが息絶えようとしているプリウスは道路を照らす力もない。問題のないレンタカーなんて見つけられたら奇跡だ。暗闇から突然現れる対向車のライトで中央線を探すような道行きに、緊張で頭の毛が逆立っているような感じがする。ようやく見えてきたバトゥミの街は、巨大な遊園地のようにネオンが輝いていた。
翌朝、宿から歩いて海岸へ向かう。しばらくぶりの海。黒海は、黒くはなかったけれど穏やかで大きかった。押し引きする波がつくり出す一定した海の時間は独特で、しばらくそのリズムに身体を預けていた。対岸のクリミア半島は見えない。
バトゥミからサルピという国境検問所のある町までは乗合バスで向かう。バスを降りるとそこはもう国境だった。ごった返す人混みに混ざり、歩いて国境を越えるとすぐにモスクの尖塔が目に入った。周りはただ山と海に挟まれた駐車場。何はなくともまずはモスク。手続きを含めてたった数十分でこちらの国からあちらの国へ。くっきりと文化圏が変わったことに新鮮な驚きを感じる。島国で育つと国の境というものの在り方に疎くなるようだ。ジョージア語が次第にまばらになってきて、未知のトルコ語が会話されている。外国に来たなあとしみじみ実感された。
それから内陸部のいくつかの都市を経てイスタンブールへと向かう。長距離バスの窓からはただひたすら平野が広がっていて、ときどき羊飼たちが羊を放牧しているのを見かけた。次第に人工物が増えてきて、街に入るとバスは停まった。いつまでもバスに揺られていたから、走り去ったバスとともに身体はまだ移動を続けようとしている。
正教会の鐘の音に代わって、礼拝の時間を知らせるアザーンが街中に響き渡り、歌うように節をつけて祈りの言葉が唱えられる。数え切れないほどのモスクの尖塔が空を突き刺している。その空を飛び交う大きな鳥はたいていカモメで、独特な声で鳴く。連なる店には物が溢れて色の洪水のように目に流れ込む。まるで友だちかのように親しげに話しかけてくる客引き。丘に沿って隙間なくそびえる建物。イスタンブールはあらゆるものが過剰で、細密画のような密度で迫ってきた。その過剰さは私を落ち着かなくさせて、ソワソワするから歩くことをやめられない。そして歩くほどに街そのものに飲み込まれていくようだ。そんなふうにごぼごぼ飲み込まれてたどり着いた胃の腑のようなところがカパルチャルシュだった。
それは数百年も前につくられた巨大なバザールで、スパイスから宝石まであらゆる物が売られている。観光客向けに同じようなものばかりが並ぶ中心から遠ざかるに従って、迷路のように入り組んだ小道が毛細血管のように広がっている。暗がりの階段を上がると急に空が見えて、ポッカリした中庭に沿ってぐるりと骨董屋が並んでいた。下を覗くと地下に続く階段も見える。水平だけでなく垂直方向にもバザールは続いているようだ。喧騒も途絶え、新鮮な空気が肺に流れ込んでくると、ようやく店先に並ぶ品々が目に入ってくるようになった。絨毯やガラスケースに入った貴金属類などが、百年前から変わらずそこに陳列されているような佇まいをしている。歩速を緩めると顎が上った。店先から顔を出している店主に挨拶をすると、たいていの主人は手招きをしてお茶に誘う。彼らが集めた品物で埋め尽くされた空間は巣のようで、私のテリトリーではないのは明らかだ。にもかかわらず、招かれるまま積み上げられた絨毯の隙間でお茶を飲んでいると、妙に居心地が良くなって会話は滑らかに始まる。彼らはトルコ東部や中部出身のクルド人たちだった。つい1週間前に近くの通りで起こった爆弾テロの話(*1)をきっかけに、エルドアン政権への苦言を漏らした。日本の政治状況も酷いんだよ、と最近の日本情勢を説明すると、驚いて悲しそうな顔をしていた。それまで抱いていた日本への幻想を壊してしまったのだろう。残念だけど、もはや「良い国」なんてどこにもないのだ。
夜が迫ってきて、お茶でタポタポするお腹を抱えて店を辞した。それから路地を奥へ奥へと進むと、バザールから吐き出されるように、あるいは排泄されて、また騒々しい街へと押し出された。
そんなふうにして、動物がマーキングをするように毎日同じ路地を歩いてテリトリーをつくりあげると、ピンボールの玉のようにどこからも弾かれているような所在なさは消えていった。岩さんのお茶がそうしてくれたように、骨董屋の主たちのお茶がイスタンブールに居場所を与えてくれた。
あるとき、混み合う広場を甘味屋の3階席の窓から見下ろしていた。四叉路の方々から人が流れ込んできて、それぞれがまったく別の動きをしている。偶然の再開を喜んでいる二人と少し離れて唐突の仲間外れに居心地悪そうに笑顔を貼り付けているその連れ。自撮りに夢中な観光客の前を横切るタイミングをうかがう配達員。忘れ物をしたのか急に来た道を引き返す人、それを即座によける人。トビリシとは比べようもないほどの人混みに圧倒される。当たり前だけれど、一人ひとりの人間がその瞬間を生きていた。こんなにもバラバラな意識や無意識から最適解を見つけて社会を設計するなんて無謀な世界だなと思う。
店員が菓子とお茶を運んでくると、私は熱々のトルコ菓子に添えられたアイスが溶けないうちにそれを食べるのに忙しくなった。
夢を見た。
トビが逃げ回っている。どこか知らない夜の公園を走り回って誰にも捕まえられない。ようやく植え込みに追い込むと、観念してバツの悪そうな顔をしている。明け方のアザーンが強引に眠りを破って目が覚めると、トビリシにいる彼女のことがなんだか心配になった。
*1――2022年11月13日、イスタンブールの新市街、タクシム広場近くの通りで爆弾テロが発生。トルコ政府の発表によると「クルド労働者党」(PKK)の犯行とされるが、犯行声明は出ていない
01. 庄司朝美「Daily Drawing」より、2022年、窓に油彩 撮影=筆者
02. バトゥミまでのドライブ 撮影=筆者
03. 国境を越えて。トルコに入るとまずモスクに迎えられた 撮影=筆者
04. イスタンブールを航行するフェリーから 撮影=筆者
05. カパルチャルシュの骨董屋 撮影=酒井一樹
06. カパルチャルシュの骨董屋街 撮影=田沼利規
07. 人混みのイスタンブール旧市街 撮影=田沼利規