絵画と映画を越境した甲斐荘楠音。大規模個展が東京ステーションギャラリーに巡回
京都国立近代美術館から東京ステーションギャラリーへと巡回し、開幕した。会期は8月27日まで。
楠音は戦前の日本画壇で高い評価を受けながら、1940年代初頭に映画業界に転身した異例の人物だ。晩年の70年代半ばから再評価の機運が高まるも、初の回顧展が行われたのは没後約20年を経た97年のことであり、京都国立近代美術館と笠岡市立竹喬美術館が会場となった。その展覧会において日本画家としての活動の全貌が明らかになり、「京都画壇の異才」として評価が確立したという経緯がある。
同展以来26年ぶり、二度目の回顧展となる「甲斐荘楠音の全貌―絵画、演劇、映画を越境する個性」は、その名の通り楠音の全貌と、日本画家の枠に収まりきらない「越境性」に焦点を当てたものだ。
京都国立近代美術館副館長で学芸課長の池田祐子は、楠音の評価について「あやしい絵という側面が強調されてきたが、それでは片手落ちだ」としつつ、本展をこう位置付ける。「楠音による映画衣裳が発見されたことで、彼がどのような芸術家だったのかを振り返ることができる。あやしいだけではない、芸術家としての意図を見ていただける機会となった」。
展示は京都展と同じく序章「描く人」、第1章「こだわる人」、第2章「演じる人」、第3章「越境する人」、終章「数奇な人」で構成。そのハイライトをお届けしたい。
序章は、楠音が24歳で「国画創作協会」に出品し、脚光を浴びるきっかけとなった《横櫛》(1916頃)をはじめとする代表作が並ぶ。人間の匂いや温度までもとらえようと考えていた楠音。《秋心》(1917)や《幻覚(踊る女)》(1920頃)などの代表作からは、「生々しさ」や「あやしさ」といった側面を感じ取ることができるだろう。
京都御所に近い裕福な家に生まれた楠音は生来病弱で、子供の頃から雅やかな人形や女性の着物などに親しんでいた。続く第1章では、そうしたモチーフへの強烈なこだわりを垣間見ることができる。
楠音のひとつの特徴として、似たようなポーズの人物像を繰り返し何度も描いたことにある。楠音は幼少期から歌舞伎を好んでおり、自ら女形として舞台に立つこともあった。そうした芝居への関心の高さが、人物像への強い興味につながっていると思われる。
第1章では、上述のように何度も同じことポーズの人物を描いたスケッチ類も展示されており、楠音の人物像に対する探究心の高さをうかがうことができるだろう。楠音は裸を「肌香」と言い表しており、《籐椅子に凭れる女》(1931頃)などからは、甲斐荘にとってその表現がいかに重要であったかがわかる。
なおこのセクションでは、発表から90年にわたり個人が所蔵し、2019年にメトロポリタン美術館が収蔵した《春》(1929)が本展のために里帰りしている。それまでのダークな雰囲気とは一転し、鮮やかなペールトーンの色彩にあふれた装飾性ある意欲作だ。
第2章「演じる人」では、太夫や女形に扮した甲斐荘の写真に注目してほしい。それらを見ると、甲斐荘が描いた女性たちが甲斐荘自身とリンクするような感覚を抱くことだろう。
楠音は古典芸能や服飾に関する知識の高さから、時代劇の風俗考証を手がけるなど、そのセンスを映画の世界においても発揮していった。娯楽作品である映画に芸術性を付与した点において、その影響力は小さくなかった。
第3章「越境する人」では、京都・太秦の東映京都撮影所が所蔵する衣裳がずらりと並ぶ。「旗本退屈男」シリーズを中心とするこれらの衣裳は、2018年に同撮影所による調査で「発見」されたもので、東京の美術館でこれだけまとまった数が並ぶのは初めてだ。衣裳の細かなディテールも堪能してほしい。
またこのセクションでは、衣裳によってアカデミー賞にノミネートされた際の賞状や、楠音が役者と衣裳合わせをする様子の写真、衣裳の下絵なども展覧。甲斐荘楠音が映画人としていかに活躍したのかがよく示されている。(なお楠音が関わった映画作品数は、現在わかっているだけで247作品におよぶという)。
本展の最後を飾るのは、《虹のかけ橋(七妍)》(1915~76)と《畜生塚》(1915頃)だ。
美術から映画の世界に転身した楠音だったが、それでもなお絵画は描き続けていた。《虹のかけ橋(七妍)》は40年代初頭に映画の世界に入ってからも描き続けたもので、その人生をかけて描いた大作だ。
いっぽう横5.7メートル、八曲一隻におよぶ大作《畜生塚》(1915頃)は、その大部分が塗り残されたままの未完の大作。ミケランジェロなどに影響を受けたと思しき肉肉しい人物像からは、「畜生塚」(豊臣秀吉が養子である秀次を自害させ、その幼児や妻、妾など約30人を処刑して三条河原に埋めた史実)から抱くイメージとはやや遠い。なぜ楠音はこれを完成させなかったのか、想像をめぐらせて鑑賞するのもひとつの楽しみだろう。