滝廉太郎没後120年、幼少期過ごした大分県竹田市の屋敷で追悼祭…「荒城の月」合唱
滝は、代々日出藩の重役を務めてきた家の長男として東京で生まれた。官僚の父の転勤に伴って、横浜、富山などを経て12歳頃から現在の竹田市に移り住んだ。東京音楽学校に入学し、その後、ドイツに留学する。しかし、結核にかかって1902年に帰国。大分市で療養生活を送ったが、03年6月29日に亡くなった。
追悼祭は、竹田市内の合唱グループ「滝廉太郎の歌をうたう会」が毎年、命日に合わせて主催している。会場となった「滝廉太郎記念館」は、滝が幼少期に住んでいた屋敷だ。
親族や関係者ら約15人が参列し、合唱グループを含めて全員で「荒城の月」を合唱したあと、像の前に献花した。土居昌弘市長は「23年という短い生涯の中で、素晴らしい楽曲を多く残してくれた。日本中の多くの人が、滝先生を愛し、尊敬している」と追悼の言葉を述べた。
その後、合唱グループらによるコンサートが開かれ、滝が作曲した「箱根八里」や「花」などが披露された。グループの担当者は「これからも素晴らしい曲を竹田から発信し、大切に歌い続けていきたい」と話していた。