櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:失われた「動物園」
2022」が開催された。25日間の会期中に延べ18万人の来場者数を記録するなど、大きな話題を集めたが、その準備に向けて担当者が駆け回っていた初夏、視察を兼ねて訪れた熱海の街で僕は奇妙なものを見つけてしまった。
熱海市街地を貫流して熱海港まで流れる初川沿いを歩いていると、橋の向こうにある花壇に多数のオブジェが乱立し、陽の光を浴びて何かがキラキラと輝いている。PROJECT
ATAMIの担当者に確認すると、「ATAMI ART GRANT」の作品ではなく、これまでまったく気づかなかったという。
近づいてみれば、それらはビールの空き缶で制作された動物などを模したオブジェで、「熱海動物園」という立て札まで掲げられていた。一つひとつのオブジェの傍には、「『恋の炎』ですか
自分で消して下さい 熱海消防署」、「あっちもこっちも値上げ
岸田さん給付金おかわり」など熱海のご当地ネタや社会情勢を風刺した言葉も添えられている。いったい誰がなんの目的でつくったのだろうか。近辺を調査しても作者の存在さえわからず、しばらく謎に包まれたままだったが、3ヶ月ほど経って、事態は急転。以前に、秋田県横手市で設備工事会社を営みながら制作を続ける佐藤和博さんを取材したことがあったが、作者はその実弟だということが判明し、ある日の午後、幸運にも指定されたマンションの一室を訪れることができた。
扉を開けると、部屋に染みついた煙草の匂いが一気に立ち込めてくる。室内には、緑色で統一された古めかしい調度品が並んでいたが、どうやら作者が自ら彩色したもののようだ。
「ここにあるのは、ほとんどが粗大ゴミとして捨てられたものだったり、以前に店で飾っていたものだったりするわけ。要するに、元祖SDGsな訳さ」。
そう話す作者の佐藤良博(さとう・よしひろ)さんは、1955年に4人兄弟の末っ子として、秋田県平鹿郡雄物川町(現在の秋田県横手市)で生まれた。小さい頃から、ものをつくることや絵を描くことが好きで、高校卒業後は美大へ進学することを志したが、ことごとく不合格に終わってしまう。代わりに、駒澤大学文学部地理学科へ入学し、中学校社会科の教員免許状を取得したものの、教師への道は考えていなかったようだ。佐藤さんが抱いていたのは、いつか自分の店を持ちたいという夢だった。大学を出たあとは修行のために、都内にあったチェーン店のピザハウスに6年ほど勤務。その後、父親から多額の資金を融資してもらい、28歳のときには、都内で「開花亭」という飲食店を開業することができた。
佐藤さんによれば、居抜き物件で半年間買い手がつかずボロボロの状態だった店内を、廃材等を利用して自らの手で改装したという。こだわったのは、拾ってきた品々をアンティーク風に加工していくことだった。昔の洋雑誌の表紙を額縁に入れ、その額には上から水のりで茶封筒を貼り付けるなどして古めかしい風合いを施すなど、営業後に店舗内の造作を続けていった。「これ、高そうね」というお客さんからの言葉に喜びを感じていたようだ。既存のアンティークが嫌いなわけではなく、お金を出して買った品物に魅力を感じないのだと語る。次第に店内に自作のアンティークが増えてくると、お客さんも不要になった骨董品や年代物の品などを寄贈するようになった。佐藤さんの表現を通じて、多様なコミュニケーションが生まれていったわけだ。
「全盛期は1日10万円近い売り上げがあったんだけど、そのうち近所に競合のチェーン店が乱立するようになって、50歳の頃に閉店しちゃったんです」。
そう話す佐藤さんのもうひとつの趣味は、海外旅行へ行くことだった。30歳ぐらいのとき、近所の人が行けなくなった福引の当選品として旅行に出かけたことがきっかけで、海外の魅力にのめり込んだ。以降、店はアルバイトに任せてバリ島やプーケット、パタヤやペナン島など25回ほど旅行に出かけ、1ヶ月ほど滞在することも多かったという。
喫茶店を閉業してからは、母親に買ってもらった都内のマンションを売却し、東伊豆町の熱川温泉周辺にマンションを購入した。4年間住んでみたものの、交通の不便さから、8年ほど前より購入した熱海のマンションに移り住んでいるというわけだ。
「無職だし、部屋に引きこもるのも良くないなと思って、ボランティアで清掃をしていたら、そのうち朝6時から2時間ほど海岸で清掃の仕事を任されるようになったわけ。あるとき、4階に住んでたお爺さんが向かいの花壇に花を植えてたんだけど、『引っ越すことになったから代わりに育ててくれ』って花壇の管理を頼まれたわけ。しばらくの間は、花を買ってきて育ててたんだけど、何しろ植物は育てるのが大変でしょ。それで、喫茶店で使っていた欧風の看板を取り付けてみたら、評判が良かったんだよね」。
以降、3年前からは花ではなく集めた空き缶を使った創作を開始。マンションから出る空き缶などを拾ってきては、下書きなど一切せず、即興的に自室でハサミを入れていく。動物や有名人など、次第にそのレパートリーも増えていき、あるときから、短冊状のコメントも添えるようになった。
「クリスマスの時期には3メートルくらいの巨大な空き缶のツリーをつくったこともあったんだけど、夜中に突風が吹いて、川でぐちゃぐちゃになって回収したこともあったの。市の土地を勝手に使っているわけだから、苦情をいう人もいるんだけど、季節ごとに作品を変えてるから、これ目当てに観光客の人が立ち寄ってくれることもあってね。僕自身も作品のことを喋るのが楽しかったし。でも、いつ市から撤去命令が出るかわからないからね」。
そうした複雑な思いもあるためか、佐藤さんが作品を設置するのは、もっぱら日没になってからだという。なるべく目立たないよう街灯の灯りを頼りに作業を行っているというから、なんという慎ましさなのだろう。
そんな「熱海動物園」だが、この記事を書いている現在、もう存在してはいない。僕が訪問した2日後に、東京からテレビ局が取材に訪れ、「取材してもらうのは大歓迎だけど、念の為、市に許可をとって欲しい」と告げたところ、「市の許可は貰えなかった」と担当ディレクターから連絡を受けたようだ。結局取材はなくなり、その件が引き金となって、佐藤さんは年内で撤去することを決意。多くの人に惜しまれながら「熱海動物園」は昨年末で閉園を迎えてしまったというわけだ。
「『うちで引き取りたい』って話もいくつか貰ってたんだけど、自分からアピールするのも何だか恥ずかしいでしょ。春先に外へ出たら、わざわざ見にきてくれた観光客の人がいて、申し訳なくて心が傷付いちゃったわけ。だから、最近は積極的に外へ出てもいないんだよね。でも、なんだか捨てれなくって全部家の中で保管してるんだけど、部屋に飾って自分で見て楽しむものでもないからね」。
取材を続けていると、図らずもこのような公共空間の場に侵入してしまった表現者たちに出くわすことが多い。河川敷で暮らしていた藤本正人さんは、持っていたキッチンバサミを使って、土手の雑草をディズニーのキャラクター柄に刈り込んでいたし、酒屋を営む山名勝己さんによる針金やペットボトルを使った装飾は道路に侵蝕してしまうほどだった。いずれも公共の場への参画を試みたものの、最終的には様々な理由で撤去する事態となっている。「一定期間しか見ることができない」というこの刹那的な表現こそが路上で展開されるアウトサイダー・アートの魅力なのかも知れないが、心のどこかで秩序を緩やかに破壊し混沌を引き寄せてくれるこうした越境者の姿に、僕らはトリックスターとしての憧れを重ね合わせていることは否めない。
佐藤さんにとって作品制作は大事な自己表現や社会との接点であったため、できることならPROJECT
ATAMI実行委員会のような組織が展示場所を準備してくれることを僕は願ってやまない。空き缶でつくられた動物たちは、いつか訪れる開園の機会をいまも自宅で待ち侘びているのだから。