太宰治が描いた肖像画見つかる 浮かぶ友人画家・鰭﨑潤の交友
太宰は義弟の画家、小館善四郎を通じて鰭﨑と知り合った。39年、太宰は鰭﨑の見つけた三鷹村(現・東京都三鷹市)の借家に甲府市から転居。隣の小金井町(現・小金井市)に住んでいた鰭﨑と互いの家を行き来し、文学・芸術談議に花を咲かせた。
肖像画は縦約23センチ、横約16センチの油彩画。三鷹市と鰭﨑の遺族が、鰭﨑の遺品を整理する過程で発見した。鰭﨑が雑誌のインタビューで紹介したことがあり、研究者の間で存在は知られていたが、実物が確認されたのは初めてという。39、40年ごろに鰭﨑の当時のアトリエで描かれたとみられる。
三鷹市の「太宰治文学サロン」学芸員の吉永麻美さん(44)は「太宰は画家の友人のアトリエを訪ね、その場で絵を描いて置いていくことがあった。大胆な色遣いと筆の運びが特徴で、これまでに十数点の絵が確認されているが、背景まで描き込まれた肖像画は他にない」と説明する。
鰭﨑の遺品からは他に、太宰の第1小説集「晩年」の献辞入り署名本が見つかった。「治」「鰭﨑潤学兄」の後に「母なる蛙(かえる)が申しました。『坊ちゃん、坊ちゃん、あなたたちには遊びでも、私たちにはいのちがけです。』」とのオリジナルの言葉が書き込まれ、2人の親しい関係を伝えている。
いずれも29日から来年1月15日まで、JR三鷹駅近くの「太宰治展示室 三鷹の此(こ)の小さい家」の企画展で、書簡などの資料とともに無料公開される。【関雄輔】