野見山暁治さん、児童1100人の絵を基に…郷里の体育館にレリーフ「子供たちの夢表現」
野見山さんは4月、同市鯰田に新設された市総合体育館の落成式に足を運んで目を細めていた。エントランスホールに展示された陶板レリーフ43点は、地元の小学生約1100人が描いた絵が基となった。制作中、「子どもが作品に込めた思いを、勝手に解釈せずに作品にしたい。『この体育館はみんなでつくったんだ』と思えるような仕上がりを目指す」と語っていた。
野見山さんは、母校の県立嘉穂高の付属中(飯塚市)で特別授業も続けていた。2021年9月の授業では約80人の生徒を前に「絵で何かを説明してはいけない。憧れ、恐れをそのまま描くんだ」と力説した。
佐藤康枝副校長は「学校で学べない貴重なお話をたくさん聞かせてくださった。最期まで後輩たちに愛情を注いでくださり、とても感謝しています」と語った。
昨年8月には、同市に野見山さんの名を冠した初の常設ギャラリーがオープンした。同市を発祥とする建設業などの「みぞえグループ」(福岡市)の溝江昭男会長(82)が旧邸宅を改装し、常時約50点を展示している。
溝江会長は、「ボタ山が創作の原風景とされる先生の作品は、どれも飯塚の誇りだ。長い間、お疲れさまでした」と惜しんだ。
「小さな画材店に関わっていただき感謝しかない」と話すのは、福岡市中央区の画材店「山本文房堂」の山本保之会長(67)。野見山さんは、同店が主催した美術展「サムホール公募展」の審査員を1989年から約30年間務め、講評では、出品者と忌憚なく意見を交わした。山本会長は「入選者にも落選者にも分け隔てなく心を配られていた。出品される方は、先生との交流を楽しみにされていた」と悼んだ。