江戸時代の俳人、横井也有の「ファンクラブ」 愛知で立ち上げ
也有は、現在の県図書館(名古屋市中区)辺りで生まれた。26歳で家督を継ぎ、御用人、寺社奉行などを務め、53歳で隠居。俳句や和歌、漢詩、狂歌などに親しみ、82歳で亡くなるまで数多くの作品を残した。俳句の数は5000を超えるとみられ、代表作には俳文「鶉衣(うずらごろも)」がある。
ファンクラブ設立のきっかけは2020年。関東地方に住む也有の子孫から、也有の墓がある「西音寺」の修繕などを行っていた愛西市の建設会社のもとに連絡があった。
「本堂の隣に木造の茶室があり、崩れかけている。けが人が出ないよう壊してもらえないか」との依頼だったが、同社は「壊してもいいものなのか」と周辺住民らに相談。すると、この茶室は「也有庵」という名称で戦後間もなく市民たちが設置したものだと判明した。
かつては市民たちがお茶などを楽しんでいたが、時がたつにつれて使われなくなっていたことが分かったという。
このことを近くに住む伊藤悟さん(65)が知ったことで、ファンクラブ設立の動きが加速する。伊藤さんはかつて東山動植物園(名古屋市千種区)の植物園長。園内には也有が詠んだ50句の俳句とそれぞれにちなんだ植物が展示されている「也有園」があり、伊藤さんにとって也有はなじみ深い存在だった。
一方、地元では盆踊りの歌詞に「也有さん」というフレーズが出てくるものの、「それほどよく知られてはおらず、もっと光が当たってもいいのではと思っていた」と伊藤さん。21年5月に「横井也有翁顕彰会設立準備会」を発足させた。
現在は60代の住民らを中心に70人ほどが参加し、命日の7月には墓地の見学会や清掃活動を、誕生月の10月には「生誕祭」をそれぞれ実施している。今年10月に「生誕220年祭」として講演会を開くと、市民ら75人ほどが参加し盛り上がりを見せた。
メンバーの一人で、元名古屋市博物館学芸員(江戸文化史専門)の山本祐子さん(68)は也有について「尾張藩の要職に就きながらも松尾芭蕉に心酔し、風雅な生活を送っていた人。特に俳文は多角的な視点でおもしろおかしく、またウイットに富んでいて、読んでいて心が自由になる。隠居後に自由気ままに生き生きと過ごした姿は、現代の私たちにとっても励みにもなる」と話す。
一方、愛西市内にある横井家の本家では、顕彰会の生誕220年祭に合わせて現在の当主で会社員の横井一時さん(38)が企画展を開催した。
横井さんはこれまでも年1回ほど史料展示をしてきたが、今年9月に学芸員の資格を取得し、今回は現代アートと也有に関する史料を合わせて展示するというユニークな試みを行った。横井さんは「歴史に興味のある人にもない人にも、也有に関心を持ってもらえるように」と、今後も展示の機会を設ける予定だ。
也有の没後240年となる2023年には、正式に「顕彰会」を発足させる計画。中高年だけでなく、子どもたちにも也有について知ってもらい、次世代にもつなぎたい考え。動画投稿サイト「ユーチューブ」で也有の魅力を自ら発信している伊藤さんは「地域の偉人でもある也有に親しみ、心豊かに過ごしていけたら。その姿をもっと広めていきたい」と話している。
顕彰会では会員を募集しているほか、也有に関する資料や各地にあるとされる句碑などに関する情報を募っている。問い合わせは、メール(yokoiyayufan@gmail.com)へ。【加藤沙波】