東京国立近代美術館「ゲルハルト・リヒター展」より 写真と絵画、どちらが客観か主観か
東京国立近代美術館で開催される「ゲルハルト・リヒター展」では、リヒター財団とリヒター個人によって所有されていた作品によって構成されますが、写真と関係性の深い作品も数多く展示されます。
彼はインタヴューで、写真をそのままトレースして絵画にするフォトペインティングというシリーズにおいて、モチーフの選択基準や意味はないと公言していたこともありました。しかし、今回紹介するコレクションで彼の90年の人生や経験がモチーフ選択に何らかの形で影響を与えていることが見えるとするならば、それによってリヒターの見え方がこれまでとは少し変わってくるのではと考えています。
リヒター作品における写真と絵画の関係――あえて一言でいうと、リヒターとは、複製技術時代以降に絵画はいかにして可能なのかを考え続けてきた作家です。では、なぜリヒターは写真をトレースして描くことを始めたのか。写真による客観性を利用することが、フォトペインティング制作のモチベーションのひとつだったと考えられます。真っ白なキャンバスに絵を描こうと思うと、コンポジションや色を考える必要が出てきますが、写真を忠実にトレースすれば、絵画の約束事を回避できる。絵画における主観的判断を極力排除するために、写真の客観性を用いたのです。
西洋の美術史において重要なジャンルである肖像画、静物画、風景画を数多く残しています。ある意味で前時代的ともいえるジャンルの絵画を、現代においてどう描くことができるかがリヒターの関心事でした。
写真や映像は、私たちの視覚のあり方を大きく変えました。そうした時代に絵画に取り組むということはどういうことか。リヒターは一般には「画家」として知られ、彼自身も自分を「マーラー(Maler:ドイツ語で画家)」と称してきたのですが、この展覧会で私がほのめかしたいのは、リヒターのいう画家とは、いわゆるペインター(塗る人)ではなく少し違った意味合いを持っているということ。それを説明するための好例が、この《8人の女性見習看護師》です。