「生きる苦しみ、忘れちゃえた」ピアニスト、グレン・グールド生誕90年 レコード贈られ「抱きしめた」
伊東さんは5歳のときから母にピアノを習った。光や音に過敏な虚弱体質で、学校にほとんど通えなかった。13歳のときグールドが弾くバッハの「2声と3声のインベンション」を聞いた。「誰かに命をあげたくて弾いているようで、フェニックス(不死鳥)の羽をもらった気持ちになった」と振り返る。そのときから、いつかグールドに会いに行くことが希望になった。
1981年、28歳のときにカナダへ。生家を訪ね、そこに暮らすグールドの父親の友人夫婦と親交を育み、容子さんのことを本人に伝えてもらった。面会はかなわなかったが、ワーグナーとベートーベンの作品を収録したレコードが届いた。ワーグナーの非売品レコードのジャケット裏面には「best wishes(ご多幸を祈ります)」のメッセージとサインも添えられた。「もう夢見心地で抱きしめた」と話す。
しかし1年後、グールドが50歳で急逝。直後に伊東さんはグールドも学んだトロント王立音楽院に入学したが「夢でも泣いて目が覚めると枕がぬれていた」。その後1年で最高位クラスを終え、10カ月後には演奏者資格を獲得。テノール歌手と協演した地元のキュアニス・コンクールで伴奏者賞1位に輝き、体調を崩すほど多くの舞台に立った。
グールドの父親とは自宅に訪ねたり、グールドの写真やクリスマスカード、ビザのための推薦状をもらったりするなど交流は続き、35歳で帰国した。
現在は「後追い日記」(ハンドルネーム・原マサコ)と題し、カナダの日々を追想したブログの英訳に、3きょうだいや友人らの協力を得て取り組む。「海外にも気持ちを共有できる人が増えれば一人でも寂しくないから」と伊東さん。
「グールドの両親は聴衆の人生を変えるような演奏を息子に期待したわけだけど、私がその証し。ずっと日本に居場所がないと感じていた人生を引っ張ってくれたのだから。生きる苦しみなんか忘れちゃえた」と感謝する。