家康の天下掌握の足がかりか 京都・石清水八幡宮に領地保証の朱印状361通…記録文書を確認
「石清水八幡宮本頭社司覚書」(縦8・5センチ、横18・8センチ、142枚)と名付けられた冊子状の文書。1569年~1844年の年中行事や江戸幕府の歴代将軍らから受けた朱印状などを、八幡宮の祭事に携わる「神人」が江戸末期に備忘録として記したものとみられる。地元の収集家が八幡宮に奉納し、専門家らが確認作業を進めていた。
家康の朱印状については、歴代将軍らの朱印状一覧の冒頭に、「家康公」「三百六十一通」と記載されていた。日付は慶長5年5月25日付で、門前の境内都市に住む神職や寺社などに領地を保証するものと考えられる。
同じ日付の朱印状は、八幡宮所蔵の4通を含む約40通が現存しているが、今回の記述は他にも大量に存在していたことを示している。
八幡は政治の中心だった京・伏見と大阪の間に位置し、木津と宇治、桂の3川が合流する水陸交通の要衝。家康のこうした行為は、関ヶ原で敵対した石田三成の意を受け、合戦前に出されたとされる「内府違いの条々」で 弾劾だんがい された「八幡の検地免除」とも符合しており、政争の一因になったと考えられる。
調査した東北福祉大の鍛代敏雄教授(日本中世史)は「家康が特例的に保護しており、石清水八幡宮の境内都市の重要性が分かる。天下分け目の戦いを前にした源氏の氏神への戦勝祈願の思いもあっただろう」と話している。
文書には織田信長が永禄12年(1569年)3月、宿場町だった八幡の橋本町に出した 禁制きんぜい (禁止事項)も記録されていた。信長の禁制は約150通の存在が知られているが、主要な道路の安全確保など、これまで見られない内容もあった。
八幡宮は、春の文化財特別公開展「徳川家康と石清水八幡宮」で、今回発見された文書を展示。信長の禁制を記録した部分を公開している。
家康が重要な行事を行う代わりに特別な保護を八幡宮に約束した「徳川家康朱印條目」(重要文化財)も初公開。武田信玄、明智光秀、豊臣秀吉の書状も並ぶ。
6月11日までの土日曜に開催。高校生以上1000円など。問い合わせは八幡宮(075・981・3001)。