「ダミアン・ハースト 桜」展 話題の美術教師 末永幸歩さんに聞く より楽しく鑑賞するためのアイデア
先日、CREAの編集者さんからこんなメールをいただきました。
「日本初の大規模な展覧会、また日本人になじみ深い桜がテーマとのことで、ミーハー心でとっさに『見たい! 』と思ったのですが、楽しみ方を持ち合わせていないことに気づきました」
また、展覧会場では、こんな話し声を耳にしました。
「お花見気分を味わえるね」
一見肯定的な言葉のようですが、よく考えてみるとそこには「お花見気分を味わえるこの展覧会は、実際のお花見に次いで良い」というニュアンスがあるように感じます。
日本は世界でもトップレベルの観客動員数を誇る、展覧会大国といわれます。
映画を観たり、ショッピングをしたり、ランチをしたりするような感覚で、休日の楽しみの1つとして展覧会に足を運ぶ人は多いようです。
しかし、今この記事を読んでいる読者のなかにも「正直、展覧会を楽しめているのかよくわからない」という人は、少なくないのではないでしょうか?
少しでも思い当たる方がいたら、それは決して「アートを楽しむ感性がないから」ではなく、「アートの楽しみ方」を学んでこなかったからだと思います。
かくいう私も、以前は同じような悩みを持っていました。
美しく描かれた古典的な作品ならまだしも、現代のアートとなると、何一つ感じるものがないまま展覧会を後にした経験も少なくありません。
そんな私のアートに対する見方が変わった1つのきっかけは、推理作家の森村誠一さんが書いたある記事を読んだことでした。
そこには「たとえそれが否定的な意見であっても」という文脈で、「作者の意図を超えて作品が一人歩きすることが作者の喜びである」というようなことが書かれていたんです。
これを読んだときは驚いてしまいました。
普段私は、自分が意図したことが正確に伝わらなかったらがっかりしますし、すぐに訂正しようとします。
まさか、人と会話をしたり仕事をしたりするときに「意図と異なって嬉しい!」と感じたことはありません。
しかしその後、アートに関する様々な文献を読むなかで、徐々にわかってきたことがあります。
それは、森村さんが変わり者なのではなく、とくに近代以降の様々な分野のアーティストたちが、それに近い考え方を持っているということでした。
じつはこれこそがアートをみるときのカギです。
端的にいえば、アートの楽しみ方とは、作者が意図したことを超えて、鑑賞者が作品から十人十色の答えをつくっていくことです。