小説を裏切らず、変わらずに書き続ける。村田沙耶香の20年
2003年に群像新人文学賞でデビューされてから20年。どんなときもまっすぐに小説と向き合い、書き続けてきた村田沙耶香さん。岩川ありささんを聞き手に迎えた村田沙耶香さんのロングインタビュー「小説を裏切らず、変わらずに書き続ける」(「群像」2023年6月号掲載)を再編集してお届けします。
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岩川 短篇集に収録されて刊行されたのは二○一九年ですが、二〇一二年十二月に短篇「生命式」を発表なさっています。本谷有希子さんとの対談で、変わった設定の作品を書いてみるきっかけになった作品だということですが、村田さんの中での「生命式」はどういう位置づけの作品でしょうか。
村田 短篇なので、いつもより自由な気持ちで、初めての試みをしてみたくて。思考実験のようなことが好きだからかもしれないのですが、自分の精神世界の土台を一回粉々にしてみたくて、違う世界を想像しました。創作ノートに人間の顔だけじゃなくて、その世界の光景とかを書いたのは初めてだった気がしています。
岩川 誰かが亡くなったときに、お葬式ではなくて生命式があって、死んだ人を食べながら、男女がそこで受精相手を探し、相手を見つけたら式から出て繁殖のための受精をする。このストーリーだけを聞くと、衝撃を受ける人もいると思うんですけれど、ある意味、「正常」とか普通ではないとされるもの、正しさのみではないものも含めて小説の中で徹底的にたどっていくと、この短篇にたどり着いていくのかなと感じます。
村田 ふだん、むしろ既成概念にとらわれている気が自分ではしているんですけれど、書くことでそれが粉々になる感じが、頭がすっきりして好きなので、激しめにそれをやりたかったのかもしれません。
岩川 やはり転機になった小説ですね。
岩川 二○一九年には『変半身』も刊行されています。松井周さんと二〇一七年ごろから三年に及ぶ取材、創作合宿を経て完成した作品とのことですが、取材とか合宿というのはどんな感じだったのでしょうか。
村田 最初は編集者さんを交えた雑談の中で、「村田さんが小説を書いて、それを松井さんが舞台にすればよいのでは」とお話ししていたような気がしますが、私がそれは本当に無理とお伝えしました。私は小説をコントロールできないから、登場人物の人数や話の長さもどうなるかわからないので……。そうしたら設定を一緒に考えて共有しましょう、ということになりました。
最初は松井さんが年表をつくってくれていて、「松井さんが未来、村田さんが現代」となったのですが、だんだんそういうわけでも全然なくなってしまい、松井さんには申し訳なかったです。私は書きながら設定を変える癖があるので、結構難産でした。
村田 でも、取材は楽しかったです。島を舞台にしようということが決まって、いろんな島にみんなで泊まりました。私はふだん書き始めてから取材に行くので、書く前に取材をするのも初めてで、貴重な体験でした。合宿をしていると、松井さんはすごく真面目に書いていらっしゃって、私も見習って、一緒に真面目に書いていました。松井さんと過ごす時間が多かったので、松井さんの物の考え方とか感じ方からの影響もきっとありながら、一緒になんとか完成させたように思います。
岩川 新しい試みだったのですね。読んでいて、フィクションの持つ恐ろしさと面白さを感じました。