佐伯祐三の回顧展が東京と大阪で来年開催。パリ時代の代表作から再評価が進む日本での作品まで一挙展示
佐伯祐三は現在の大阪市北区中津出身。東京美術学校西洋画科卒業後の1923年に渡仏した。パリでフォーヴィスムの巨匠・ブラマンクに「アカデミック!」と一喝されたのち、作風を模索しながらやがてユトリロに触発された風景画の連作を発表。26年には一時帰国し、東京の下落合や大阪の滞船などに題材を求めるが、27年には再度パリに戻り、広告の文字を題材とした独自の線描による作風にたどり着く。しかし28年には体調が悪化し、同年8月に30歳の若さで世を去った。
本展はプロローグ、エピローグを含めた5部構成。「プロローグ:自画像」では、佐伯の学生時代の作品を中心に、顔が削り取られた《立てる自画像》などを紹介する。
第1章「大阪、東京」では、一時帰国していた佐伯が集中的に描いた東京の「下落合風景」や大阪の「滞船」を、16点と潤沢な点数で展示。「日本の風景は絵にならない」と佐伯が述べていたこともあり、パリ時代の作品に比して評価が乏しかったこの時期の作品。しかし、近年は再検証と再評価がなされており、その成果を紹介するものになる予定だ。
第2章「パリ」は、「壁のパリ」と「文字と線のパリ」というふたつのテーマで展示を行う。「壁のパリ」では、25年に佐伯が到達した石壁の質感を厚塗りで表現する作風の作品群を展示。《壁》や《コルドヌリ(靴屋)》(ともに1925)といった代表作を見ることができる。
「文字と線のパリ」は、1927年の秋から初冬に展開された、広告の文字と線描という佐伯の作風を代表する様式の作品を紹介。画面を埋め尽くすポスターの文字や、線で表現されたパリの街角など、その芸術の真髄ともいえる表現が一堂に会する。
第3章「ヴィリエ=シュル=モラン」では、亡くなる約半年前となる1928年2月に、パリ郊外の村・ヴィリエ=シュル=モランに滞在したときの作品を展示。これらは村のいたるところを題材に、力強い線や構築的な構図など新たな造形を模索したものだ。佐伯が命を削りながらつくったといえる作品群を堪能したい。
最後の「エピローグ」は、28年3月ごろに描かれた最晩年の人物画と、わずかに体力が回復した際に戸外で描いたというふたつの扉の絵を紹介。画家の最期の自画像ともいえる作品を展示する。
本展担当学芸員である大阪中之島美術館の高柳有紀子は、記者発表会にて本展の狙いを次のように語った。「ドラマチックで短いその生涯にスポットを当てるのではなく、佐伯の創作の過程に注目するものとなる。当館(大阪中之島美術館)の収蔵作品では《郵便配達夫》(1928)が有名だが、佐伯はやはり風景の画家だった。風景画を佐伯自身と見立て、展覧会名を『自画像としての風景』と名づけた」。
いっぽう東京会場となる東京ステーションギャラリーの冨田章館長は「昨今、洋画の展覧会が減っていることに危機感を持っている」としたうえで、本展の意義についてこう述べている。「佐伯も近年は長らく回顧展が開かれていなかった。今回は洋画界の巨匠といえる佐伯の待望の展覧会と言ってよく、佐伯が青春時代を送っていた1910年代に建てられた東京駅の中にある当館で作品を堪能してほしい」。
また、大阪会場となる大阪中之島美術館の菅谷富夫館長も次のように展覧会に向けての抱負を語った。「大阪中之島美術館設立の契機のひとつに、佐伯祐三の遺族から作品が寄贈されたことがあると聞いている。佐伯祐三という素晴らしい作家を忘れないためにも、当館の所蔵作品を多くの人に見てもらえることを嬉しく思う」。