家康が「関東一の名水」と褒めた水が湧き、家光が狩りを楽しんだ「井の頭公園」を歩く
JR中央線・京王井の頭線の吉祥寺駅を降りて南側の商店街のなかを1キロメートル弱、10分あまりで、井の頭池に着く。この公園は大正6年(1917)に「井の頭恩賜公園」として開園した。
井の頭池を中心に三鷹市と武蔵野市にまたがっている。
青梅に発した扇状地・武蔵野台地も海抜50メートルくらいのこの付近に来ると、川により浸食されて谷(谷戸)が形成される。一般に谷戸の最上流部、谷頭(こくとう)には地下水が湧出して池ができる。ここはそのような池を中心に広がる公園である。
公園は大きく3つのブロックに分けられ、それぞれに特徴がある。
1つ目のブロックは、西部の御殿山地区で、中央部を都道が走り、吉祥寺駅の方から見ると右側が井の頭自然文化園の動物園、左側は御殿山と呼ばれ、コナラ、イヌシデ、クヌギ、エゴノキなどの落葉樹を主体に、針葉樹のサワラ、アカマツを交える雑木林になっている。この林は低木がないことから見通しはよいが、人の立ち入りが多いことから林床には裸地が多い。雑木林は井の頭池に向かって傾斜しながら広がっている。
2つ目のブロックは「井の頭池」を中心とする地域で、周囲よりも一段低く、北西~南東方向に延びる細長い形をしている。
この池は神田川の水源で、かつては湧水口が7ヵ所もあったことから「七井(なない)の池」とも呼ばれた。池の周囲の平坦地はサクラやメタセコイアなどからなる樹林が取り囲んでいる。公園内の弁天池の北側にはソメイヨシノの大木が池に枝を伸ばし、花期にはすばらしい景観を作る。
このサクラは神代(じんだい)植物公園の職員が昭和23年(1948)に大島から持ち帰ったオオシマザクラの種を播いて台木を作り、それに昭和25年(1950)、ソメイヨシノの穂を接ぎ木したという。ソメイヨシノとしてはめずらしく素性の知れたものである。それにつづく斜面にはコナラを中心とした落葉樹林が広がるが、人の立ち入りがないことから御殿山と違い、林内にはシラカシ、アオキ、ヤツデなどの常緑樹が多く生育し、遷移の進んだ姿をしている。
池の西側にある弁天島には弁財天が祀られている。伝承によれば、平安時代中期にこの弁財天が祀られ、その後、源(みなもとの)頼朝(より とも)が東国平定を祈願し、大願成就のお礼に改築されたという。その後放置されていたが、徳川家光により社が再建されたという。
3つ目のブロックは、玉川上水を挟んだ地区で、西園と呼ばれている。陸上競技場やテニスコートがあり、多くの人が利用している。玉川上水沿いには自然の遷移に任せて管理している「小鳥の森」もある。この地区の一角には三鷹の森ジブリ美術館がある。