60年代から70年代の文化人たちが魅了された「伝説のイタリアン・レストラン」
――村井さんは荒井由実のデビューアルバム『ひこうき雲』のプロデュースを手掛けてらっしゃいます。そのアルバムでベースを弾いていたのが後にYMOを結成する細野晴臣さんでした。ユーミンや細野晴臣さんと村井さんとの出会いのきっかけはどういうところにあったんでしょうか?
ユーミンとの出会い、細野との出会いは1969年から70年の同じ時期に起こっているんです。その頃に僕はもう作曲家としてザ・テンプターズやザ・タイガースにヒットソングを書いていた。そういうこともあって、ザ・タイガースを脱退した加橋かつみのレコーディングのために、1969年にフランスに行くんですね。そこでバークレー・レコードと繋がりができて、アルファミュージックという音楽出版社を作った。ユーミンはその次の加橋かつみのアルバムに曲を書いていたんです。それをビクターのスタジオで聴いて、この子はなかなか才能があると思った。和声や調性が、当時のフォークソングや流行歌にあまりないものだった。これは面白いと思いました。それでアルファミュージックと契約をしたいと言って紹介してもらった。ユーミンはアルファの最初の作家として契約したんです。