「関ケ原」前哨戦の要所、田辺城の出入り口遺構出土 京都・舞鶴
田辺城は10年をかけて天正19(1591)年ごろに完成したとみられている。遺構は歴代城主名で区分され、細川期=天正9(1581)ごろ~慶長5(1600)年▽京極期=慶長6(1601)年~寛文8(1668)年▽牧野期=寛文8年~明治4(1871)―の3期に分けられ、江戸時代には度々改修されている。
今回の発掘調査は宅地開発に伴って、5月8日から実施された。
市によると、出土したのは虎口の入り口(幅は推定約6メートル)で、本丸の南100メートルの地点。虎口は大手門のすぐ前にあり、戦では攻防の要所となった。周囲の石垣は海抜マイナス1メートルの地点に太い木材である胴木(どうぎ)を置いて丁寧に積み上げられていた。
田辺城は細川幽斎の「隠居城」として築城されたとされるが、市文化振興課の担当者は「幽斎は関ケ原の戦いの前に宮津城を焼き払い、田辺城にこもったことが示すように単なる隠居城ではなく堅牢(けんろう)な城だった。これまで細川期の田辺城は絵図でしかわからなかったが、今回の虎口の発見でようやく輪郭がわかってきた」と話している。
◇15日に現地説明会
現地説明会は15日午後1時半、発掘現場(舞鶴公園城門前から南へ150メートル)で。雨天決行。現地に駐車場はない。