『櫻の園』監督:中原俊 評者:吉田伊知郎【気まぐれ映画館】
舞台は、春の創立記念日にチェーホフの『桜の園』を上演するのが習わしとなっている私立櫻華学園高校演劇部。開演当日の朝、部員たちが緊張の面持ちで部室に集まってくるが、前日に3年生の部員が喫茶店で喫煙しているところを補導されたため、上演中止の可能性が出てくる。
原作漫画も同じく女子高の演劇部の話であり、『桜の園』を上演するまでの1ヵ月ほどの稽古期間に起きた出来事が4話構成で描かれているが、映画はそれを上演開始までの2時間に凝縮したのが脚色のポイントになる。最近の漫画実写化に求められるような原作の忠実な再現こそを最良とする見方に従えば、本作などは改悪の部類に入りそうだ。ところが、原作のエッセンスとなるエピソードを巧みに抽出し、限定された空間と時間にちりばめる脚色で、本作は見事に映画的映画──ならぬ演劇的映画へと昇華されている。
物語の大半が部室で展開するだけに、原作を知らなければ、舞台の映画化に思えるかもしれない(後に、じんのの脚本で舞台版も作られている)。限定された空間に凝縮する作劇は、大島渚監督の『絞死刑』(1968)でも舞台を刑場に限定することで効果を見せていた。
こうした手法はセットが一つで済み、低予算で撮れることも利点となる。とはいえ、『櫻の園』は部室といっても狭い体育館ほどの広さがあり、中庭もある凝った空間をスタジオにセットで組み立てており、昨今の日本映画の予算状況を思えば贅沢な作りではあるのだが。
藤澤順一の撮影と中原俊の演出が、演劇的な舞台を映画的な空間へと染めていくのが見どころになる。幕が開くまでの2時間をリアルタイムで描いているように見せて、実は本作の上映時間は96分。ある瞬間を省略したり、間延びさせたり、時には異なる場所で同じ時間を繰り返し見せたりと、自由に時を伸縮させる〈ほぼリアルタイム〉という曖昧さが効果をあげる。
無事に幕が開くのか、部員たちを不安にさせるサスペンスとともに、彼女たちの心情が繊細に映し出される。殊に演劇部の部長が憧れを抱く部員と二人きりになったときに見せる、ある行動は映画でしか描けない時間が、永遠に思えるほど長く流れて忘れがたい。
もう一つ、忘れられないのが〝食〟をめぐる描写。舞台監督と部長が冒頭で食べるサンドウィッチをめぐるやり取り、全員で舐めるアイスクリームといった何でもない食べ物が印象深い。往年の日本映画にあった、こうした描写が姿を消して久しい。
33年前の映画となると、男性視点の女性像が気持ち悪かったり、同性愛の描き方に引っかかりを覚えたりしそうなものだが、いささかの違和感も残さない見識にも感嘆させられる。
(『中央公論』2023年5月号より)
【評者】
◆吉田伊知郎
映画評論家・ライター