「古里の壊滅は時間の問題」 元和歌山県職員が漫画で伝えたい危機感
男性は神奈川県在住の業界紙記者、阪本繁紀さん(30)。作品の主人公は東北育ちで、震災当時高校3年生の架空の女性だ。家族や恋人を失った女性を中心に、物語は福島県いわき市やその周辺地域をモチーフに、震災直後と10年後の日々が交互に登場する。将来への不安や希望に思いを巡らせる被災前の日常や、何気ない家族との生活を丹念に描く。タイトルは「ある光」。7章構成で、現在は後半の震災当日のシーンに取り組んでいる。
阪本さんは大学卒業後、和歌山県職員となった。和歌山市や県南部の海沿いの市町で、漁港整備や砂防事業を担当した。2020年春に現在の仕事に転職する際、休暇を使って福島や宮城などを車で2週間かけて旅した。
当時、既に震災から9年が経過していた。復興のハード事業は終盤を迎え、防災緑地や防潮堤など「整えられた町」を目にした。しかし、いわき市の海岸近くで車中泊をした時、「ここに住んでいた人たちは、今どこで、どんな気持ちで過ごしているのだろうか」と一晩思い巡らせ、言い知れぬ悲しみを感じたという。
◇県職員を辞め被災地で取材
「東北の震災は遠いところの出来事で、自分ごとと捉えていなかった」。自らの古里をはじめ各地で防災の参考にすべきことがあると思い、震災を題材にした漫画制作に取りかかった。
首都圏で働き始めるとほぼ毎週末、福島に通った。金曜夜に車で出発し、土日は住民や語り部に繰り返し話を聞いた。図書館で郷土史を調べながら、1年以上を情報収集に充てた。
作品のテーマの一つが「古里の喪失」だ。阪本さん自身、小学校卒業後、私立中学に進学するために紀伊半島の南端にある串本町を離れ、以後、1人暮らしが続いた。寂しさを感じた学生時代、「古里は自分のアイデンティティーの根幹になる」と感じてきた。福島で取材を重ねるうち、その古里を津波によって奪われた被災者と接し、人ごとに思えなかったという。
将来起こり得る災害への危機意識も、制作の原動力だ。政府の地震調査委員会によると、南海トラフで地震の規模を示すマグニチュード(M)8~9級の地震が起こる確率(1月1日現在)は、今後20年以内で60%程度、30年以内で70~80%とされる。太平洋側の駿河湾から日向灘にかけて延びる海底地形の南海トラフ沿いでは、おおむね100~150年間隔で巨大地震が繰り返し発生している。1854年には安政東海地震の約32時間後に、安政南海地震が発生。直近では、1944年の昭和東南海地震の2年後に昭和南海地震が起きた。
和歌山県の想定では、南海トラフ巨大地震で、串本町には高さ10メートルの津波が発生3分後に到達する可能性がある。県職員時代は串本でも勤務。この時、住民と話をする中で、津波が押し寄せた際、どこに、どのような経路で避難すればいいかを具体的にイメージしている人が少ないと感じたという。
被災想定地域の行政に対しても、事前復興計画などの備えがなかなか進まないことに焦りを感じていた。「時間の問題で、私の古里はなくなってしまうんだな」。津波の危険や親しい人との別れを描いた作品を通じて、「地震への備えを強めるきっかけになってほしい」と願っている。
阪本さんが漫画を描き始めたのは小学校1年生の頃。父から譲り受けた漫画を読みあさるうちに、「紙とペンさえあれば漫画が描ける」と思った。独学で描き続け、大学時代は同好会を発足させて同人誌を作り、今でも仕事をしながらコミックマーケットで作品を販売している。
「私にはそれしかできないから」。古里が被災するかもしれないという危機感が、自らを作品作りに突き動かした。串本と東北。同じように地方で生まれ育った人たちが、過酷な災害を経験したことに思いをはせ、「喪失とどのように折り合いをつけて暮らしていけばいいのかまで、考えてもらえたら」と語る。
◇後編は年内に完成目指す
前編は単行本化されており、通販サイトなどで販売。後編は23年中の完成を目指す。売り上げは、震災孤児を支援する基金に寄付している。購入方法など問い合わせは、阪本さんのメール([email protected])へ。【山口智】