ART SHODOの現在。清水穣評 山本尚志個展「ゲーム」、「ART SHODO -進化する芸術運動としての書-」展
5年ほど前から──始まりはもっと遡る──書家の山本尚志を中心とする新しい書の運動「ART
SHODO」とその展覧会が各地で目につき始め、そこから輩出した作家の名前と作風が、全国のギャラリー、アートセンター、デパートの美術画廊などでの個展やグループ展を通じて広く認知されるところにまで来ている。それは、21世紀になって、井上有一の世界的なブレイクをきっかけに、書が長い眠りから覚め、現代美術として自らを再定義するとともに、現在のアートワールドがそれに応えて「書」を吸収しつつあることの表れでもある。
1950年代、書と現代美術は、線の勢いやバランス、絵具・墨の滲みや掠れの効果、書を書く行為とアクションペインティングなど、両者の視覚的な類似を通じて初めて出会った。フランツ・クラインやジョルジュ・マチューといった画家たちが東洋の書を発見し、それに呼応して、書と抽象画の東西文化交流のなかで、書の現代化(いわば最初の「ART
SHODO」)を夢見た作家たちもいた。
その第一人者、森田子龍のカタログレゾネを読めば、墨人会による最初の「ART
SHODO」がなぜ途絶えたかがわかる。ひとつは、「純粋に視覚的な三次元性」たる「平面性」(グリーンバーグ)は線描とは対立する概念であり、それを本質とするモダニズム絵画が、そのような対立のない芸術である書とは本質を違えていたからである。さらに、当時の欧米(戦勝国)作家の、非欧米(敗戦国日本)の芸術に対する救いようのない植民地主義が、彼らにおける書の受容を軽薄な搾取にしたからである。子龍のような生来の才子が、書に影響されたと称する外国作家の実作を見て、そこに学ぶべきものが何ひとつないことに深く失望したであろうことは想像にかたくない。書と抽象画は、書にとって非本質的な─デュシャンの言葉では「網膜的」な─要素においてすれ違っただけだった。マチューやクラインは抽象画のつまらぬ傍流に終わり、子龍の作品は、現代美術界とは距離をおいて、国内で孤高の道を進んだ。そして書は、何事もなかったかのように、学校習字から日展に至る安定した階層構造のなかで惰眠を貪った。
さて、伝統的な書が読めない点で、現代の日本人もマチューやクラインと変わらない。現代日本で馴染みのある書はいわゆる「国道書道」と「ヤンキー書道」のミックスである。前者は「にんげんだもの」で有名な相田みつをに(?)端を発し、津々浦々の国道沿いを主な舞台として、勢いのあるヘタウマ文字で「〇〇食堂」だの「〇〇ラーメン」だのと店名を連呼する。後者は「よさこい祭り」と田舎のヤンキーに共通する感性で装った(たいていは)長髪の女性が、巨大な紙の上で髪を振り乱しつつ太い筆(ファルス?)を抱えて動かすという、妙なジェンダーバイアスのかかったパフォーマンス書道である。両者のミックスのひとつに、榊莫山に影響された(?)芸能人たちの「千鳥足書道」をも挙げておこう。
「ART
SHODO」は天作会(2004~)、すなわち「井上有一に捧ぐ書の解放」をテーマに掲げるグループ出身の作家たちを核としている。現代美術の世界が再び書に注目するようになったのも、有一が知名度を得て、大きな回顧展が実現し、国際的に認知されるようになったからだろう。天作会系に限らず、じつは比田井天来から現在に至るまで、数多の現代書家がそれぞれの「前衛書」を展開してはきた。が、ポスト有一というフィルター──墨美や絵画美の内に書の本質はない──をかけるならば、「前衛書」の多くは未来の書には含まれまい。逆に、「網膜の美」を採らないなら、書は文字と言語を対象とした芸術(言葉やメッセージ、記号を主題とし、それに応じてフォントや表示形式を選ぶアート
; ジョセフ・コスースの《1つのそして3つの椅子》(1965)、バーバラ・クルーガー、ジェニー・ホルツァー等々)に並ぶだろう。
ポスト有一の書にはいくつもの罠がある。まず、視覚表現において体系化され因襲化しているものは文字・記号だけではない。マンガの効果線やスクリーントーンを考えてもわかるように、たとえ抽象書であろうと、光の明暗と濃淡、線の粗密、肥痩、方向の関係は、光・闇、上昇・下降、集中・離散、密集・孤独……など、いくらでも慣習的な記号として機能する。「文盲」に堕した日本人にとって、抽象書は通俗的表現に流れかねないのだ。次に、有一の代表的な作品の多くが一字書であったし、多くの前衛書がこのスタイルを踏襲してきた。これを一字書の呪いと呼べば、「ART
SHODO」もその呪いのもとにある。
現代作家5名による「ART SHODO」
現代美術界の新人で書の世界の巨匠、渡部大語の作品は、コンセプトも表現形態も首尾一貫している。文字の意味(たいていは題名で与えられる)がかき消された痕跡としての書は、激しい否定とその後の無常観まで表現する。が、なぜかき消すのかという肝心の点が伝わらないので、かき消しの効果だけに頼ることとなり、しかもその効果はどの文字でも同じである。
墨を含ませたタオルで(!)英語を書きなぐるハシグチリンタロウの作品は、グラフィティアートに連なり、その激しい墨跡を通じてかつての抽象書にも連なるから、二重に既視感から自由ではない。他方でドローイングや、Amazonの段ボールを用いたオブジェ、そしてパフォーマンスは、作品のコンセプトならぬ「物語」を、断片的にしかし印象的に証している。が、この制作の生命線である「物語」が漠然としているので、パンクロッカーの雄叫びのようなダイナミズムだけで評価されている。
Ayako
Someyaの作品は昔の抽象書のように墨美を追求しているように見えるが、じつは元素の結合モデルを「書」いている。とはいえ、それは自然のモデルであって、差異化された言語ではないから、やはり「描」かれたものである。もし作品になんらかの「意味」や「概念」を与えたければ、モデルを象徴へと高めればよいだろう(例えば、放射性物質やレアメタルといった現在の社会(の脆弱さ)を象徴する物質)。また一作品が一元素に対応するあたり、一字書の呪いのもとにある。
グウナカヤマは、自らの感性に従って、新しい文字を一つひとつ生み出してきた。いわばグウ文字の、その独特の拙さ、形の面白さ、さらには巨大な作品をもこなす力技が評価されている。初期の「花」「鳥」では、漢字の形象に頼った素朴すぎる表現も見られたが、形象を持たない意味(無、slack、dirtなど)に新しい字形を与えるようになってからは、表現が洗練されてきた。ただし、彼も一字書の呪いのもとにある。
山本尚志の書の基本は「物にその物の名前を書く」ことである。ある対象を表す自作のピクトグラムに、その対象の名称を書く。全体の構図は緻密に計算されているが、書にありがちな筆致の美は潔く放棄されている。ピクトグラムは、言語として差異化され意味を宿す(=漢字になる)以前の絵であり、そこに書かれる文字は片仮名―漢字の欠片―である。両者がシニフィエとシニフィアンの関係に入り、漢字以前の絵に漢字だった文字が書きつけられることでひとつに圧縮される。ピクトグラムは意図的に曖昧なので(例えば本展の《ゲーム》は形態を選ばない)、名を書く行為はしばしば命名でもある。命名としての書は、レディメイドの世界を自分の固有名において生き直すことに通じている。
(『美術手帖』2022年7月号「REVIEWS」より)