八木保×NIGO®×片山正通(Wonderwall®)が語る『ジャン・プルーヴェ展』とその魅力。
西尾洋一/Casa BRUTUS編集長(以下、西尾) みなさんはいつ頃からお知り合いなんですか?
八木保(以下、八木) 僕はサンフランシスコに長く住んでいて、1990年代にアメリカでプルーヴェの家具を買い始めた時、ディーラーから日本にNIGO®というコレクターがいるので会ってみてはどうかと言われました。
NIGO® その後に初めてお会いしたんです。
片山正通(以下、片山) 僕は八木さんを大先輩のデザイナーとして一方的に存じ上げていましたが、1997年に東京で八木さんがグラフィックを担当したカフェのインテリアをデザインして、その時にご挨拶しました。NIGO®さんのお店〈NOWHERE〉のデザインを始めたのも97年でしたね。
西尾 『Casa BRUTUS』が月刊化したのが2000年で、月刊化2号目でジャン・プルーヴェを特集しました。そこでNIGO®さんのプルーヴェの家具コレクションも紹介しています。
NIGO® 覚えています、懐かしいな。僕はプルーヴェの前にイームズの家具を集めていて、その頃にビースティ・ボーイズのマイク・Dから、イームズも良いけど、プルーヴェも良いよと言われました。それからシュプリームのジェームス・ジョビアにニューヨークで、プルーヴェの家具を買えるギャラリーを紹介してもらって。今では考えられないくらい、どこのギャラリーにもまだたくさん(プルーヴェの家具が)ありました。
片山 僕はNIGO®さんのアトリエでイームズのすごいコレクションも見ているし、プルーヴェが増えていく様子も見ていました。
八木 NIGO®さんのコレクションは本当に珍しいものばかりでした。ニューヨークは世界のマーケットの中心だから、いいものがフランスから渡っていたんです。
西尾 2000年のプルーヴェ特集では、サンフランシスコの八木さんのスタジオや自宅も取り上げました。プルーヴェの《アントニーチェア》と、サイ・トゥオンブリーの絵を組み合わせていましたね。
八木 アートとファニチャーを合わせて使うのが好きなんです。トゥオンブリーもあの頃は手に入りやすかったですから。