伊藤 聡 男らしさとスキンケアの相克――1990年代と現在の断層をめぐって
(『中央公論』2023年5月号より抜粋)
およそ1年かけて、男性スキンケアをテーマにした書籍を準備した。それまで美容にまったく縁のなかった中年男性である私が、肌の手入れ方法や美容を学ぶ過程を描いたものである。
執筆した原稿は『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました。』(平凡社)という長いタイトルの本となって、今年の2月末に発売された。私にとっての2022年は、「さて、どうすれば男性にスキンケアのよさが伝えられるだろう」と考え続けた一年だった。
肌の手入れをすると、何がプラスになるのか。なぜ化粧水や乳液を使うと気分がよくなるのか。一度もスキンケアをしたことのない方に、その楽しさを伝えるのは意外に難しい。
世の中全体を見たとき、男性美容が広がっているのは事実だ。コロナ禍をきっかけに、男性化粧品の市場は大きく伸びたと言われている。「オンライン会議の画面上で自分の顔を見る機会が増え、肌のケアに関心を持つ層が増えた」と解説する記事を、新聞で読んだ(「リモート会議で肌ケア意識 コロナ禍でも伸びる男性化粧品市場」『産経新聞』2021年11月7日)。
記事によれば、コロナ禍での外出控えで2020年の化粧品市場全体は低迷しているにもかかわらず、男性化粧品の市場だけは前年比4%増だったという。理由として挙げられていた、自分の顔をあらためて見たとき、スキンケアの必要性を実感したという話は、私自身の体験からも共感できるところだった。日々の手入れを怠っていると、自分でもぎょっとするような容貌に変わっていることがある。
男性美容の広がりは、ドラッグストアの男性化粧品売り場が日ごとに大きくなっていく様子からも実感できる。多くのメーカーがメンズのスキンケア製品を売り出し、テレビCMを積極的に流しているので、見かけた方も多いだろう。有名芸能人が「最近始めたこと言っていいですか? スキンケア」と語る姿を見ながら、大いに励まされた私である。
化粧水や乳液といった基礎アイテムだけではなく、目のクマを目立ちにくくするクリームや、眉を整えるアイブローなど、より積極的な美容アイテムを展開するメーカーもあり、同記事では「『男性がメークするなんて』という垣根は低くなっており、選択肢を示したい」という商品企画担当者の言葉も紹介されている。
こうして男性化粧品が広がっていくのは嬉しいが、男性美容に決して低くはない「垣根」があるのはたしかだ。どうしても恥ずかしさがつきまとう。男性美容業界は、こうした心理的な垣根をユーザーにどう克服してもらうかに長年苦心してきたと言っていい。