【貴重写真でたどる】道後温泉、松山城、芸妓、湊町…「昭和の松山」はこんなに華やか
日本最古とも言われる温泉を有する城下町は、多くの文学作品に描かれてきた。その懐かしき面影を、昭和20年代~40年代の貴重写真でたどる。
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松山は文学との結びつきが強い町だ。
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松山市に生まれ暮らす作家・宇佐美まこと氏(65歳)が言う。
「夏目漱石の『坊っちゃん』の舞台として有名ですが、それよりも正岡子規を生んだ『俳句の町』だと私は思っています」
松山城などの名所旧跡について子規の詠んだ句が、多く残されている。
子どもの頃、身近なところで想像力を刺激されたと宇佐美氏は振り返る。
「私は、伊豫豆比古命神社(通称:椿神社)に近い市坪町で育ちました。当時は街灯が少なく、真っ暗闇の畦道を歩いていると、何かいるんじゃないかという想像力が働いたものです」
俳句と夜の暗さが、作家の素養を作り上げたようだ。
3000年の歴史があると言われる道後温泉は、昭和40年頃から大きく変化した。
70年以上続く温泉宿「谷屋」の女将で、道後湯之町に生まれ育った竹林淑子氏(72歳)が昭和30年頃を振り返る。
「お遍路さんを泊めるための簡素な遍路宿など、数十軒の小さな宿がひしめきあっていました」
日常の中に外湯(共同浴場)があった。
「私が小学生の頃は、この町に外湯が5つもあり、道後の住民は最寄りの外湯に通っていました」(竹林氏)
昭和40年頃から、大型旅館やマンションが次々と建設された。それでも変わらないのは外湯の存在だ。
「『道後の朝風呂』といって、市民が電車に乗って入りにくる。今でもその習慣は残っています」(同)
写真/『松山市の昭和』(樹林舎)、講談社写真資料室
「週刊現代」2022年8月6日号より