イエス・キリストの本当の誕生日は? クリスマスの歴史とトリビア
実のところ、キリスト教の福音書はイエスが誕生した日付について言及していない。そこに書かれているのは、マリアの無原罪懐胎とイエスの身分の低い生まれについてだ。
福音書によると、イエスの母であるマリアは、神のひとり子を生むよう神によって選ばれた処女であった。マリアが身ごもったことを知ると、彼女と婚約していた大工のヨセフは、この約束を解消しようとする。しかしヨセフの夢に天使が現れ、恐れることはないと告げる。そして結婚したふたりは、ローマ皇帝が民に命じた住民登録を行うためにベツレヘムに向かう辛い旅に出る。
ベツレヘムには多くの人が殺到したため、出産を控えた夫婦が泊まれる宿はなかった。ふたりを不憫に思った宿屋の主人が、家畜小屋を寝床として提供してくれ、マリアはそこで神の子を出産する。マリアが息子を飼い葉桶に寝かせると、天使が歌い、空に明るい星が輝いた。
12月25日がどのようにしてクリスマスと結び付けられるようになったのかについて、歴史家の意見はわかれている。しかし、西暦336年には、ローマのキリスト教会でこの日にクリスマスのお祝いが行われており、これはローマ人が冬至を祝う「サートゥルナーリア祭」の日でもあった。
冬の祝祭は古代より世界各地に存在し、やがてそうした祝祭の伝統の多くがクリスマスと結び付いていった。たとえば、ゲルマン人の冬至の祭り「ユール」ではごちそうを食べてお祝いし、またケルト人のドルイド(祭司)たちは、2日間の冬至祭にキャンドルに火を灯し、ヒイラギやヤドリギで家を飾った。
時がたち、クリスマスの人気が高まるにつれ、新たな伝統が生まれていった。中世イングランドでは、クリスマスは12日間続く祝祭となり、劇や盛大な宴会、イエスの誕生を祝う行列など、さまざまな催しが行われた。音楽、プレゼント、飾り付けなども、一般的な慣習となった。
とくに君主たちは豪華な祝宴を催した。ヘンリー3世が13世紀に開いたあるクリスマスの祝宴では、招待客が牛600頭をたいらげたという。大学では、ホリデーシーズンの間、「クリスマスの王」あるいは「豆の王」が選ばれ、仲間たちを「支配」することができた。そして、たとえ祝宴は質素なものであろうとも、賛美歌やクリスマスキャロルは必ず歌われた。
しかし、だれもがこうした祝祭を楽しんでいたわけではない。1644年には、英国の清教徒たちがこの祭りを禁止したことから暴動が起こり、これは第二次イングランド内戦につながる火種ともなった。