その死を嘆き、ファンが「実際の盛大な葬儀」を執り行った…『あしたのジョー』力石徹を知っていますか?
呉 『あしたのジョー』の連載開始は「週刊少年マガジン」1968年1月1日号。私は21歳の大学生でした。当時、同誌の二枚看板だった『巨人の星』は熱血根性もので荒唐無稽な要素も多いのに対し、『ジョー』はデフォルメがあっても絵空事ではない。しかも暗い情念が作品を通底している。そこに大学生以上の大人も夢中になりました。
川 私は21歳でちば(てつや)先生のアシスタントになりました。仕事場にある先生の作品の中で、最も読み込んだのが『ジョー』。本来は先生のタッチを学ぶべきなのに、物語に引き込まれて気がつくと7回以上も繰り返して読んでいたのは、いい思い出です。
長谷川 僕の『ジョー』との出会いは小学生の頃です。当時は悪ガキが少年院で大暴れする物語をオモロイなと楽しんだけど、17歳で自分もボクサーを目指した時からは試合前にモチベーションを上げるために何度もお世話になりましたね。
川 振り返ると画期的な要素が多い作品です。それまでのスポーツ漫画の主人公は品行方正な少年が大半ですが、ジョー(矢吹丈)は喧嘩をするし、大人をだまして生きてきました。
長谷川 そう、ジョーは完璧じゃないから魅力的なんです。試合でも負けるし、その度に挫折する。でも、そこに人間味がある。『ジョー』はやはりリアルですよ。
川 一方で漫画ならではの演出もある。少年院にトレーナーの丹下段平から届く一枚のハガキに書かれていた「あしたのために(その1)」という数行のアドバイスだけで、パンチのスピードが増していく。そんなことがあるのか、と思いながら夢中になるんです。
長谷川 僕より少し上の世代のボクサーは皆、ジョーが憧れだったと思いますよ。
呉 そのジョーと並ぶ人気を誇ったのが力石徹。彼には得体の知れない凄みがありました。元々ボクサーで、自分を口汚くヤジった観客に暴行を働いて少年院に入ったことはわかるが、どう育ったかは語られない。暗い過去があり、それがジョーに対するライバル心にも結びついている気がするのですが、読者は想像するしかないわけです。
長谷川 少年院を出たジョーと力石がリングでグローブを交えるためには、力石がジョーと同じバンタム級に落とす必要がありました。そのために過酷な減量をするのは、重要なエピソードです。
川 プロのボクサーがどれほど辛い減量やトレーニングをしているか初めて知ったのがこの作品でした。トマト1個だけで空腹と渇きに耐える力石の精神力の強さは、読んでいて怖いほどでした。