山上新平「liminal (eyes)」展、鎌倉の海と波をとらえた作品群
山上の作品の変遷は、山上が一貫してこだわってきた「眼差し」の変遷といえるかもしれない。実家近くの山中 に入り撮影した初期のモノクロ作品三部作(「EQUAL」「SOW」「SPECTRUM」)は、自らの命を削るように森の深部に潜り、眼差しを少しずつ変容させながら生み出された。続いて取り組んだ「The Disintegration Loops」では「脱力したまなざし」(当時の山上のメモより)により、黒一色の前シリーズから一転、作品は豊かな色彩を獲得する。
波を撮る前、山上はチョウを撮影している。鳥などに比べて動きが不規則で目で追えない被写体に対し、眼差しはどう反応するかという挑みだった。「とらえよう、つかもうとすることから脱却することで、触れるだけの眼が生まれました」(写真集の制作に向けた言葉より)。この「触れるだけの」眼差しを得て、山上は住処の鎌倉の海と 波に挑み、写真集『liminal (eyes) YAMAGAMI』を完成させる。
山上は己の眼差しと同様もしくはそれ以上に「鑑賞者の眼差し」を重視している。「『いかに見る人の眼差しに 耐えられるか』それは一貫してコアにあるものかもしれません。」(前出の言葉より)。山上は苦闘の末に生み出した自分の写真から距離を取り、その反対側にいる鑑賞者の前に差し出す。そしてその写真が見られるとき、見る人の中に何らかの作用を引き起こす強度があるのかを常に問い続けている。写真は写真であって、写真は自分ではないといい切る山上の作品は、自己表現というものから最も遠い位置にある。