ミステリー作家・大沢在昌氏が語る『新宿鮫』の魅力
ミステリー小説界の第一人者・大沢在昌氏の人気シリーズ『新宿鮫』の12作目となる『黒石(ヘイシ)』(光文社)が2022年11月に刊行された。単行本・文庫あわせて累計800万部を超え、長年の執筆活動の功績に対し、紫綬褒章が授与された。『新宿鮫』について、創作活動について、大沢氏に話を聞いた。
『新宿鮫』第1作の発表は1990年。主人公の新宿署の刑事鮫島は、組織のなかで孤立しながらも歌舞伎町を舞台にした数々の凶悪事件に単独行で対峙していく。決して妥協せず、とことん犯人を追い詰めていく執念深さに、暴力団からは「鮫」と呼ばれ忌避されていた。数少ない理解者は、上司の桃井課長と恋人であるロックシンガーの晶(しょう)。その桃井は10作目となる『絆回廊』で捜査中に射殺され、薬物犯罪のスキャンダルから晶とも別離となった。次の『暗約領域』をはさみ、『黒石』出版までの経緯はどうだったか。
前作『暗約領域』(2019年)は、『絆回廊』(2011年)の出版から9年近く、間が空きました。『絆回廊』で課長の桃井と晶という大きなメンバーが退場したので、これでシリーズも終わったとお考えの読者もけっこういたようです。僕の中では全然そんな気はなかったのですが、あれだけ大きな出来事を起こして、何もなかったかのようにまた書くわけにもいかず、次の作品を書くにあたっては、やはり覚悟がいった。一言でいうと、「面倒くせえなあ」というのがあって、年数がかかってしまいました。
『暗約領域』では、2人がいなくなったことの説明も必要だし、鮫島本人がどのように変化したのか、シリーズものなので触れないわけにはいかない。なおかつ事件の中身がけっこう複雑だったので、長くなった。それで疲れたというのもあり、次はシンプルな話にしようと最初から決めていました。
それからもうひとつ、書店で『暗約領域』のサイン会をやったとき、ちょうどコロナ直前でしたが、たくさんのお客さんがおみえになって、ほぼ全員から「9年待ちました」と当たり前のように言われた。こんな時代に9年間も待ってくださる人がこんなにもいるというのは大変なことで、ちょっと感動しましてね。「次はいつですか?」と聞かれて、さすがに「今度はそんなにお待たせしません」と言ったのですが、みんな信じていないみたいだった。なんせ、出版社の担当編集者に「来月から鮫の新しい連載スタートするから」と言ったら、「ああ、はいはい」てな感じで聞き流されたくらいで、僕がファックスで原稿送ったら本当に驚いていた。それが可笑(おか)しかったし、当初からシンプルなものにしようと考えていたので、この『黒石』のキャラクターもすんなり出てきた。サックリ、そんなに苦労しないで書けたという印象です。
『黒石』では、鮫島は中国残留孤児2世の組織「金石(ジンシ)」内部の権力闘争に端を発した殺人事件を解明していく。組織内の覇権を握ろうとする黒幕が、特異な武器を用いる殺し屋「黒石」を使って反抗するメンバーを殺戮していく。「シンプルな物語」とはいえ、緊迫感のある場面の連続で一気呵成に読める。
「金石」は『絆回廊』で初登場し、暴力団も怖がる組織と書いていますが、インターネットを通じてのネットワーク型の組織です。ただし、「金石」にまつわる物語は、『絆回廊』から『黒石』でいったん終了です。陸永昌(ルーヨンチャン)という中国と日本のハーフの犯罪者はタイに逃亡中ですが、彼はいずれ「金石」とは別の扱いで登場させようと思っています。
僕は、ずいぶん前から新しい形の組織として、残留孤児2、3世が台頭してくると思っていました。もう暴力団を書くのも飽きたし、中国マフィアも便利屋さんみたいに使うのも嫌で、中国人でも日本人でもどちらでもない、どちらでもあるというような、ちょっと鵺(ぬえ)みたいな集団を書くのは面白いと考えていました。取材は全然していません。新聞や週刊誌に載っているネタをくっつけて、あたためていれば考えつく。特別誰かに聞いたりしないし、参考になるような本もそんなに読んでいません。いつもそんな感じで書いています。
僕は学生の頃、麻布十番に住んでいたので、その頃から六本木で遊んでいました。それ以来、いまでも六本木で飲み続けていますが、『新宿鮫』を書こうと思ったとき、僕は新宿なんて全然知らなかった。ただ、六本木を書くのは飽きたし、銀座には行くけどちょっと違う。やっぱり犯罪多発というイメージでいえば歌舞伎町だし、「面倒くさいけど、ちょっと勉強して書くか」というのが第1作目のときでした。でも、歌舞伎町には、ほとんど飲みに行ったことはないし、取材らしい取材はしなかった。別にヤクザは六本木でもさんざん見てきたし、そういう点ではことさら新宿を舞台にしても困ることはありませんでした。
暴力団、中国マフィアなど、その時代時代の組織犯罪を背景とした作品群はマンネリ化せず、いまも人気作品として読み継がれている。第1作が発表されてから年月を経て、主人公の鮫島や作家自身に変化はあったか。
第1作では、鮫島の年齢は34、5歳という設定でした。今の作品のなかでは10年くらい歳をとったことになっている。第1作のころの鮫島はまったく妥協できない人間で、相手にヤクザ者が多かったということもあり、やたら厳しく、また警察組織というものに対しても反抗的だったわけです。でも、それをずっとやっていたらバカでしょう、というのが僕の中にありました。だから鮫島にも変化はある。
作品を書くうえでも、たとえば警察用語や隠語は、第1作、2作の中でよく使ったけど、そのあと警察小説ブームがあって、みんなが使うようになったので逆に嫌になった。警察組織の官僚小説みたいなものは他にも書いている人がいるので、そこはもういいや、と。『新宿鮫』は警察小説であると同時に、鮫島本人の物語でもあるので、回を重ねるごとにどんどん彼の人間性とか、そっちの方に寄っていったというところはあります。そのように読まれていたこともあって、鮫は警察小説の中でもちょっと特殊な立ち位置にあるのかなと思う。だからヤクザもあまり出てこなくなったし、そもそもヤクザが出てきて脅す、みたいなシーンばっかり書いていてもつまらない。そういうシーンはあってもなるべく短く終わらせるというように変わってきましたね。