美村里江のミゴコロ さよなら夏の日
新型コロナウイルス「第7波」の影響も大きく、そんな中の連続ドラマ撮影でも感染せず健康で、個人的にはホッと一安心。しかし取り返しのつかない事件も多く、ニュースを見て考え込んだり、夫と会話して意見交換することも増えた。
この時代の空気を吸い込んだ人は、どんな作品だったら快く見てくださるだろうか。エンターテインメントの立ち位置も悩ましい。
と、そんなシビアな現実もありつつ、大きな流れでは時は進んでいく。四季の中で最も派手(?)でエネルギー値の高い夏も遠ざかった。あれほど危険を感じる暑さがあっても、去っていく夏はいつも惜しい気持ちになるのだから不思議なものだ。子供時代から長年刷り込まれた「夏休みシステム」の影響も大きいと思うが、最近個人的に思うのは自然との触れ合いの部分だ。
初夏から急激に増える、レジャー関連の悲しいニュース。慣れた人は季節問わず訪れるが、夏は一般的な人が山や海に行きやすい季節だ。特にコロナ禍では、人との接触の少ないアウトドア趣味が見直され、山も水辺も人が増えたという。その上に連日の酷暑。木陰や水辺に心ひかれるのは、生物としても当然といえる。
ごく個人的、そしてざっくりした感想だが、実際自然に触れると瑣末(さまつ)なことは大体どうでもよくなる。ペシミスティックな意味は抜きで、人間はやはり猿の仲間だなあと痛感する。
数年前、何かのコラムで「食べ物」と「動物」が長く流行(はや)っている現代は、文化的に子供っぽい時代だという指摘があった。私はまさにどちらも大好きだし、そういったコンテンツに触れて楽しんでいるとき、先祖返りというか…幼さを通り越して、自分に動物っぽい喜びが満ちているように感じ、これら(おいしい食べ物・かわいい動物)が長く根強い人気を誇っている理由もよく分かる。
その最大リラックスバージョンが、夏の自然の中に入ったときの感覚の正体ではないかと思う。根源的な大きな喜びがあり、近代の生活で身についた細かな部分は、おのずとすっ飛んでしまう。
大好きな渓流釣りも9月で漁期終了。自然にかえる楽しい夏がしばし遠のいた切なさが、そのまま感傷的な秋へとなじみ、季節は深まっていく。