『成長の臨界──「飽和資本主義」はどこへ向かうのか』河野龍太郎著 評者:諸富徹【新刊この一冊】
「臨界」とはもともと物理学用語だが、そこから転じて経済社会の様々な矛盾が蓄積し、次の大きな変化が生じる直前のギリギリの状態をここでは指している。矛盾とは、物質的豊かさの限界、地球環境問題の深刻化、放置できないほど拡大した格差、そして金融政策に支えられた財政膨張の限界などが含意されている。私たちの経済システムが避けがたい根本的な変化に近づきつつあるという緊張感が、本書全体を貫く。
本書のもっとも重要な主張は、中央銀行による量的緩和政策を批判し、それによる財政規律の喪失がもたらす弊害を強調したことである。先進国経済が成長のモメンタムを失って長期停滞に陥ると、中央銀行が経済運営上、重要な役割を果たすようになった。日本はその典型国だ。
日銀が国債を大量に購入し、代わりに市中に大量の貨幣を供給する量的緩和政策のおかげで長期金利が抑え込まれている。それにより国債の償還コストが忘れ去られ、財政膨張を促進する結果になったと著者は鋭く指摘する。これは、その隠れた目的である円高の回避ともつながっている。だが円安が実現しても、日本企業はかつてのように輸出を増やそうとはしない。中国や東南アジアへの工場移転や、国内に残留した日本企業の競争力低下が原因だ。
結果として景気は回復せず、むしろ円安/ゼロ金利の状況下でしか存続できない企業の残存を許し、中長期的に日本の産業の生産性を低下させる一方で、膨大な公的累積債務を積み上げただけに終わっていると批判する。まさに、本質的な問題を解決せずに先送りを続ける「時間かせぎの資本主義」(W・シュトレーク)に他ならない。
では、希望はあるのか。著者が見据えるのは、「大規模かつ垂直型」の社会システムから「水平分散型」の社会システムへの移行である。典型的には、再生可能エネルギーを中心とする分散ネットワーク型エネルギー・システムへの移行だ。これは、分散的な情報通信システムとも親和性が高く、ボトムアップ型の社会構成原理の基盤になりうる。
ボトムアップ型社会の起点になるものこそコミュニティである。では、なぜコミュニティが大事なのか。第一義的には、人々が様々な試行錯誤を重ね、失敗からも学びあってよりよい社会を目指すことのできる、ボトムアップ型民主主義の基盤になりうるからだ。
だがさらにその背景には、いささか悲観的かもしれないが、資本主義がいよいよ臨界に達し、国家が財政破綻などの機能不全に陥った場合、究極的に人々を守るのはコミュニティしかない、という著者の冷めた認識がある。
こうして資本主義そのものを対象とする野心的かつ壮大な著作を可能にしたのは、狭義の経済学に留まらず、広く社会科学の知見を総合する著者のチャレンジ精神に他ならない。この点こそ、エコノミストとしてあるべき姿を示し続けている著者の真骨頂であり、筆者が敬意を表してやまない点である。
(『中央公論』2022年10月号より)
【著者】
◆河野龍太郎〔こうのりゅうたろう〕
1964年愛媛県生まれ。BNPパリバ証券経済調査本部長、チーフエコノミスト。
横浜国立大学経済学部卒業後、住友銀行、大和投資顧問、第一生命経済研究所を経て現職。
専門は日本経済論、経済政策論。著者に『円安再生』など。
【評者】
諸富徹〔もろとみとおる〕
1968年大阪府生まれ。京都大学大学院博士課程修了。博士(経済学)。専門は環境経済学、財政学。著書に『資本主義の新しい形』など。