世田谷から移転。〈静嘉堂@丸の内〉が重要文化財〈明治生命館〉1階にオープン。
緑豊かな世田谷に優然と佇むイギリス風の〈静嘉堂文庫〉屋敷と、広大な庭園をのぞむ〈静嘉堂文庫美術館〉。和漢の古典籍約20万冊と東洋の古美術品約6500点を収蔵し、それらのなかには国宝7点と重要文化財84点が含まれている。質量ともに国内屈指のコレクションを誇る。
文庫(図書館)と美術館からなる〈静嘉堂〉は、三菱第二代社長の岩﨑彌之助が1892年に神田駿河台の自邸に設立した〈静嘉堂文庫〉が始まりだ。兄・彌太郎に倣って実業界に入る前に漢学を学んでいた彌之助は和漢の古書や古美術品を熱心に収集。また芸術文化をこよなく愛していた彼は明治維新後、日本の重要な文化財が次々と海外に流出していたのを憂い、積極的に日本の古美術品の収集・保護に努めた。
海外留学の経験もある彌之助は、経済的に余裕のある者が文化を守り、社会に還元すべきというノブレス・オブリージュの精神を持っていたのだ。
その長男である第四代社長の岩﨑小彌太もまた、父の遺志を継いでコレクションを拡充。しかも学術的な助言をもとに美術コレクションを充実させ、中国陶磁や茶道の名品を収集した。
小彌太はさらに彌之助が眠る墓に隣接する世田谷区岡本に桜井小太郎の設計で1924年に新たな〈静嘉堂文庫〉を建て、研究者への公開を開始する。その後、国会図書館の傘下となった時期もあったが、1970年からは再び三菱グループ運営の私立図書館に。1977年からは建物内に付属の展示室を設けて、文庫が収蔵する美術品の展示を開始。そして文庫創設100周年をとなる1992年に新館を建て、世田谷の地に〈静嘉堂文庫美術館〉が開館したのだ。
今回移転先となる東京駅の皇居側に位置するエリア「丸の内」は、文庫の創設者である彌之助が、その一角にミュージアムを造りたいと最初に願った場所だという。彼は1892年(明治25年)という早い時点ですでに丸の内に美術品を公開する美術館構想を持っていたのだ。
130年目にして創設者の夢が叶った〈静嘉堂@丸の内〉。こけら落としとなる展覧会『響きあう名宝-曜変・琳派のかがやき-』では、岩﨑父子収集の名品を4章立てで紹介。《曜変天目(稲葉天目)》や俵屋宗達筆の《源氏物語関屋澪標図屏風》など、収蔵する国宝7件が展示される貴重な機会となる。
〈静嘉堂@丸の内〉東京都千代田区丸の内2-1-1 明治生命館1F。2022年10月1日~12月18日(前期は10月1日 ~ 11月6日、後期は11月10日 ~ 12月18日)。一般 1500円ほか。
TEL 050 5541 8600(ハローダイヤル)。