映画『バービー』でも注目、ピンクはなぜ論争の火種になりやすいのか? その根深い歴史
自然界のピンクに憧れを抱いた初期人類は、すぐにそれを身にまとうようになった。たとえば約9000年前のアンデス山地では、現在のペルーに住んでいた獰猛な狩猟民族が、ピンク色を帯びた革を使って仕立てられた服を着ていた。彼らが使ったのは、人類が使用した最古の天然顔料のひとつである酸化鉄顔料のレッド・オーカーだ。
この顔料は、洞窟の壁に塗りつけられたり、革をなめすときに使われたりするだけに留まらなかった。はるか昔の古代エジプトでは、人々は唇や頬を彩るためにオーカーを使っていた。
人間の皮膚に用いると、この赤い色素は頬が上気したようなピンク色になり、見る者たちに愛、性、美を連想させた。同様の素材は、砕いたイチゴから赤いアマランサスまで、世界各地でさまざまなものが広く使われた。
語源は不明だが、18世紀にはこの色を表すのに「ピンク」という言葉が使われていた。
その時代まで、ピンクは植民地主義と密接に結びついていた。化粧品向けの色素への需要が高まり、ヨーロッパ人が世界のほかの地域でさかんに資源を採取するようになったためだ。
たとえば、ブラジルボクの樹皮と赤い樹液からピンク色を帯びた染料を得るために、ヨーロッパの商人たちは、国名の由来となったこの木を、奴隷労働者を使って大量に伐採した。そのせいで森は切り払われ、ブラジルボクは絶滅寸前にまで追い込まれた。
この大航海時代、頬や唇をピンク色に染めるために用いられた色素はこれだけではなく、たとえばカルミンもそのひとつだった。この染料は、中南米において同様の条件下で集められた昆虫コチニールカイガラムシを原料としていた。
一方、ピンクという色は、より直接的な意味でも植民地主義と結びついていた。大英帝国が極めて強大になったこの時代、世界各地に広がる領土を示すために地図製作者たちが用いたピンク色は、世界地図の大部分を占めるようになっていた。